極私的、殊能センセー追悼

好きな作家や映画監督などが亡くなったときにいつもまず感じるのは、ああもう新作見れないんだ/読めないんだとか、あれはまだ未見だなとか、大体そういった作品のことについてである。トークショーなどで実際にその姿を見たことのある人だと、その思いもどこか強くなる。もちろん別に知人でも何でもないが、私の生活の一部を提供してくれたわけであるから、感謝の気持ちももちろんある。でもやっぱり、もう新しいものが出てこないことへの残念な気持ちが強い。

しかし土曜日、ミステリ作家の殊能将之氏の訃報を知った時、そんな新作のことはまったく思わなかった。私はミステリファンでも何でもなく、単なる殊能センセー(多くのセンセーファンに倣ってこう呼ぶ方がしっくり来る)というキャラクターのファンで、何かこう、最近はちょっと疎遠になっているけどずっと気になっていた友人が亡くなったような、妙に近い者に感じる喪失感を覚えた。作家でこんな風に思ったのは、センセーが初めてだった。

そんな殊能センセーに妙な親近感を覚えていた理由を改めて考えてみると、以下の3つにまとまった。
1. 旧ホームページの「memo」のファンで、特にセンセーの料理が好きで、たまに真似て作ったことがあった。あとホームページをよくチェックしていた当時、私は名古屋に住んでいたので、センセーの名古屋ネタが毎回ツボだった。
2. 『美濃牛』は文字通り岐阜県美濃地方の話で、舞台の武儀郡洞戸村(現関市洞戸)は私の実家に近く、板取川などは昔よく遊びに行ったことがあった。
3. 前にも書いたが、カナザワ映画祭に行ったときに、友人と一緒にセンセーの姿を探すのが、映画祭の裏の楽しみ方だった。

補足すると、1は例えば柚子胡椒焼きそばがうまかったこととか、喫茶マウンテンのこととか。2はノスタルジーとでも言うか、知っている風景であんなことが起きちゃって。3はいつも映画祭後にmemoを見て同じ映画を観ていたことがわかり、結局桂小枝似はどの人だったのだろうと友人(殊能センセーの小説は面白いと教えてくれた張本人M本さん)と妄想。こんなことを現実に体験させてくれる作家というのはなかなかいない。もちろんセンセーが覆面作家で、寡作で、新作がなかなか出てこずに(私がセンセーの作品を読み始めたのは超遅蒔きながら『キマイラの新しい城』が出た後くらいだったので、新作の長編が出てリアルタイムで読んだ、というのは一度もなかった・・・)、毎日テレビ(しかもバラエティ番組)ばかり見て何をしているのか謎で、ツイッターのダジャレも笑っていいのか微妙なのも多く(そういえばツイッターではわざわざ返信して頂いたこともあった)、でもとにかく新作を待ちつつ、毎日「オイッス!」とつぶやいてくれるのを見てればまあそれでいいかと思っていた。

もの凄い博識でも全然嫌味に感じさせず、何よりあのどこか冷めてて皮肉ってるけど、ちゃんとユーモアも忘れないお茶目なセンセーがきっかけで読んだり観たりした作品はたくさんあるし、そもそもミステリやSFをちゃんと読むようになったのもセンセーのおかげだ。最近は入院をされていたようだしセンセーの身の上に何があったかなんて知る由もなく、とにかく悲しいけど、ファンとしてお礼は言っておきたい。ありがとうございました。

ほとんどセンセーの作品の内容に触れてないけど(こんなのもアリなんだと驚いた『黒い仏』が一番好きかも)、以上一殊能センセーファンの戯言です。今度センセー流筑前煮作ってみよう。


最後のツイートが「んじゃまた」なんて本当に寂し過ぎるけど、安らかにお眠り下さい。

31. March 2013 by sats
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