EL ZINE vol.30 -SEX MESSIAH インタビュー/ ニューヨーク2018〈前編〉

EL ZINE vol.30は4月27日発売です。

今回は、大阪のブラックメタルバンド、SEX MESSIAHの首謀者で、その他も色々な音楽活動をされているMOENOS氏にインタビューしました。
パンクス視点で、「ブラックメタル」への疑問なども思い切って聞いてみましたが、氏の音楽に対する真摯な姿勢がそのまま回答に出ている、パンクスにとってもメタルヘッズにとっても読み応え十分の内容だと思います。またこういったアンダーグラウンドのシーンで「女性がバンドをやること」についても、ズバっと言い切ってもらってるので、ぜひご一読を。
↓の昨年のブラジルツアーの話もあり!

Better read than dead
あと今号にはもうひとつ寄稿してまして、先月半ばに行ってきたニューヨークの、ハードコア・パンク関連のことについての紀行文(の前半)を載せてもらっています。名付けて「ニューヨーク2018」…、記事タイトルのデザインも、ジョン・カーペンターのあれから拝借してもらったので、安直なタイトルですがご勘弁ください(笑)。
前編はとりあえず、ニューヨークのレコード屋のことや見たライブのこと、ニューヨーク・ハードコア・パンク的「名所」の現在などについて書いてます。vol.31に掲載予定の後編は、ニューヨークの「歴史ある」ジェントリフィケーションのことなどが主に載ります。
記事中に登場するバンドや施設などのリンクをここに貼っておくので、興味があればどうぞ。

↓のライブに行ったのでした。
show 0316
SPIC

RUBBER

YOUTH CRUSHER(ギリシャ)

Μάτι

The Museum of reclaimed Urban space (元C-Squat)
http://www.morusnyc.org/

ABC No Rio(再建中)
http://www.abcnorio.org/

元CBGBの場所にある高級服屋…
https://www.johnvarvatos.com/storedetails?StoreID=3008


ez30
EL ZINE / vol.30

●SKITKLASS
(2017年に突如として日本のハードコア・パンク・シーンに登場し、立て続けにリリースされた音源はいずれも即完売。正体不明の覆面バンド、SKITKLASSのヴォーカリストであるSkitkatt氏へのインタヴュー)

●OBEDIENCIA
(ロンドンのLa Vida Es Un Musからのアルバム・リリースも記憶に新しい、スペインはマドリッドの女性ヴォーカル・パンク・ロック・バンド、OBEDIENCIAへのインタヴュー)

●SOLVENT COBALT
(ex.ISTERISMOのSatoshi氏が率いる新バンド、SOLVENT COBALTへのインタヴューby Shogo氏/GREAT DANCE,ALTERNATIVE SOLUTION)

●Umea Punk City
(ex.AC4~現ACID BLOODのKarlによる、スウェーデンUmeaの現地情報コラム)

●Moenos from SEX MESSIAH
(大阪のブラック・メタル・バンドSEX MESSIAHのMoenos氏へのインタヴューby鈴木智士氏)

●SOW THREAT
(1stフル・アルバムのリリースを控える沖縄のステンチ・クラスト・バンド、SOW THREATのベース・ヴォーカルであるハチマン氏へのインタヴュー)

●沖縄バンド紹介
(沖縄で現在活動中の5バンド[ALKSLK、BIRDHELMS、疾shitva刃、offseason、R.A.G.S]へのミニ・インタヴュー)

●チヒロンfrom黄金狂時代
(東京のパンク・ロック・バンド、黄金狂時代のベーシストであるチヒロン氏へのインタヴューbyツトム氏/悲観レーベル)

●高松ハードコア特集
(・80年代の香川県高松市にCHAOS UKやJohnny Thundersなどを招聘し、様々なイヴェントを企画していた堀地氏と、ex.EFFIGY~AXEWIELDにして現在はULCERで活動中の増田氏による、高松の80年代についての対談。
・OFF-ENDの荒木氏、AKKA~DEMESNEのハナ氏、UNGODLYのガイ氏、IMPULSE RECORDS etcの井川氏による現在~未来の高松についての対談。
・高松で活動中の20バンドを紹介するテキスト)

●OHYDA
(ex.ALERT! ALERT!~KNIFE IN THE LEGのメンバーらによるポーランドのハードコア・バンド、OHYDAへのインタヴュー)

●LASHING SPEED DEMONS:MOTORHEAD/Fast Eddie Clarke Era
(2018年1月10日に亡くなったFast Eddie Clarkeが在籍していた、1976~82年までの”黄金トリオ”期のMOTORHEADについてby 大越よしはる氏)

●ASCO
(ブラジルはサントスのハードコア・バンド、ASCOへのインタヴューby Rafael Yaekashi)

●ニューヨーク2018
(2018年3月にニューヨークを旅してきた鈴木智士氏による紀行文、その前編)

●ES GIBT KEIN WERT
(発行人によるディスク紹介)

●チャレンジ・インタヴュー
(EFU氏[FAST aka FAST zine])

14. April 2018 by sats
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“March for Our Lives” 私感

3月24日に、全米で銃規制の強化を訴える“March for Our Lives”と称するデモがあった。これは2月にフロリダ州のパークランドの高校で起きた銃乱射事件(17人が死亡)に端を発し、同校の高校生たちが主導で始めたものだ。スローガンはDischargeよろしく“#NeverAgain”。それに共鳴して、アメリカ国内だけでなく、国外主要都市でも抗議行動があったらしい(日本はあったのかな)。

ちょうどその頃、アジア研究者の学会がワシントンDCで行われていて、その端の端にかろうじて引っかかっている相方akがDCに行くのがちょうど24日だったので、デモもついでに見に行こうということになり、私も早朝からついて行った。ちなみに発表者には、日本のパンクスにもおなじみ625マックスもいて、ロシア革命の日本への影響、みたいなことを発表していた。まあ日本にもよく来てるけど、元気そうでした。

昼頃から地下鉄に乗ってDCのダウンタウンへ向かった。地下鉄がラッシュ時の東京みたいになってて既にすごい人。DCまで来て満員電車を体験するとは思いもしなかった。みな様々なプラカードを持っている。駅を上がると、今日のデモのためにわざわざ刷ったと思われるTシャツを売っている人がそこら中にいる。アメリカの首都であるDCには数十万人集まると言われていたから、それを見込んで一儲けしようというわけだろうか。1人の老女が100枚はあろうかというTシャツの山を前にして座っていたが、あんなに刷って売れ残らんのかな、というアンダーグラウンド・バンド的視点で心配する…。
ダウンタウンに着いても、デモというかこの集会はあまりに人が多すぎて、車の通行を規制したストリートはどこも人だらけ。おびただしい数の簡易トイレも用意されたとてもでかい規模の集会だ。我々はスピーチ会場までは到底たどり着けるわけもなく、種々のプラカードを見ながらただの観察者と化していただけだった。参加者は50万人とも80万人とも言われていたようだ。ちなみにこの件についての日本の報道は、「セレブも参加」「アリアナ・グランデが歌った」「ニューヨークではポール・マッカートニーが参加」みたいなのが目立ったが、さすが日本のメディア!と言うしかないな…。
dc2
さて、結論から言ってしまえば、今日のデモは「リベラル」主導の「平和的」なものなので、参加者も全米から高校生が集まったりと年齢層はかなり若く、2017年1月のトランプの大統領就任式のような、ブラック・ブロックがリムジンや大銀行をぶち壊したり、リチャード・スペンサーのような白人至上主義者をぶん殴る、みたいなものはもちろん見られなかった。ブラック・ブロックなんかおそらく興味も持たない類のやつだ。
ただ、これだけでかい集会でも警察の姿はほとんど見られず、いても所々にパトカーが止まっていたり、道案内に答えている警官がいるだけ。あとは完全に放任。デモをやるのに警察がそれを制する、というのは「ありえない」ことなのだ。ただまあブラック・ブロックみたいなのが登場したら大急ぎで飛んでいく態勢は整ってるんだろうが…。
これだけ多数の人々が参加していることは単純にすごいことだとは思う。就任式反対やウィメンズ・マーチなど、特にトランプ政権になってから、こういった大規模なデモや集会に多くの人が集まるようになったとは思うが、自分の意志を示すのに躊躇しない。引率っぽい先生のような人もいたからクラスみんなで来たのかもしれないが、小学生、中学生と思わしき若い10代の姿も多い。男の子も女の子もいる(大人は女性が多かった気がするが、ヒラリー支持者のような「リベラル」の集会だからなのか、銃規制が目的だからなのか…)。ネットでは銃規制反対派が立ち上がった人たちのことを「フェイクニュース」呼ばわりしたり、若者たちはハラスメントにさらされたりもしたようだが、それでもこうやって街頭に出て自分の考えを表現するのが当たり前なのだ。またこっちのプラカード(サイン)は「デモで自己表現」のごとく、手作りのものが多くて、それを見てるのは面白かった。今回はやはりNRA(全米ライフル教会)を批判するものや、日本でもその「沈黙スピーチ」がメディアに取り上げられていたようだが、先の銃乱射事件を生き伸びたエマ・ゴンザレスさんを支持するもの、子どもたちを守れ、というものがほとんど(このあたりのサイトで、そういったサインが色々見える)だったが、その中で社会主義者や労組が下記のようなチラシを配っていたりもした(日本の「国会前」ならこの人達は排除されるのかな)。
workers
ふざけたようなサインはなく、それくらい真剣なんだなというのはわかった。“Am I Next?”(次は私が撃たれる番?)というサインもあったが、それを見て、90年代にNATOがセルビアを空爆していたときに、「ターゲットはここだよ」と射的マークのTシャツを着てNATOを挑発したセルビア人たちを思い出したりもした。もっともあれは相手がもっと強大だったが。

ただ、akとも話していたのだが、気になったのは、“Black Lives Matter”運動のような、ここ数年の警察官による黒人銃殺に対する運動に関するプラカードが少なかったこと。聞いたのは、銃規制運動が「シングルイシュー化」することで、警官による黒人、有色人種への暴力が埋もれてしまっているということだ。まあ「シングルイシュー」や「リベラル」にありがちなことかもしれないが。たとえば児童生徒を守るために、警官を学校に配置する。警官が銃を持つのはとがめられない。何かあれば(何もなくてもか)その警官が黒人を疑い、銃を向ける、ということも起きかねないのだ。

デモのメインストリートとなっていたペンシルバニア・アヴェニューの、FBI本部のある角のところに、デモに反対する「カウンター」、すなわち銃規制に反対する集団もいた(もちろん星条旗付き)。
NRAは「銃が増えれば国はより安全になる」という考えのもとで動いており、あらゆる銃の規制に反対し、共和党の議員に莫大な献金をしているのは報道で取り上げられる通り。これらの「カウンター」の人々の持つサインも、「銃を持った方が長生きできる」とか「アメリカの自由は『敵』じゃない」(銃を持つ「権利」自体が、アメリカの「自由」を体現している、というわけだ)など、あからさまに攻撃的なメッセージではないが、銃を持つ自由も認めろ、というメッセージを放っていた。その集団の回りには警官が何人かいたが、その集団に寄っていって議論をしている銃規制派の人たちもいた。

銃規制反対派とそれを囲む銃規制派

銃規制反対派とそれを囲む銃規制派

いくら学校での銃乱射による死者数が、アメリカでの銃による犠牲者全体の数パーセントだとしても、無関係の子どもたちが学校という場所でいつ殺されるか怯えながら生活を送るのは何とも辛い。でもそこはアメリカ社会。「だったら先生が銃で武装すればいい」とトランプが言ったり、先に書いたように警官を配備すればいい、という、あくまで銃の存在を根底に置いた、力でねじ伏せるような考えも出てくる。銃規制派と反対派の溝は、まるでそれぞれが別の世界にいるようで、埋まるようにはまったく思えない。一つでかいデモを見たからといって何かがわかるわけでもないが、銃社会アメリカがどうなるか、ひいては今後、銃が社会にとってどのような位置づけになるのかも、気にはなる。別に現実と非現実を混同しているわけではないが、それは現実世界ではない映画やゲームなど表現の領域においてもそう。それらの娯楽で、銃を散々見ているのも確かだ。先にNATOのことも触れたが、アメリカが国防の元に行う「悪」に対する「戦争」も、この銃社会の延長線上にある気もする。先にやっちまえば殺されることはない。備えあれば憂いなしの究極版とでも言うか。そう考えるとアメリカという国は本当に歪んでるな。こんなところに引っ越して住める気はなかなかしない。パンクスでも銃を持っていることを自慢げに語る人もいたが(某ハボック先生とか)、ああいう人たちは今何を思うんだろうか。

07. April 2018 by sats
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ニューヨークへ行ってきた

3月中旬、約2年ぶりにアメリカに行ってきた。今回は何と14年ぶりにニューヨークへ行った。前回、初めてニューヨークに行ったのは2004年、無我の米西海岸ツアーの後にフィラデルフィアに3週間くらいいて、フィリーのパンクスたちと一緒に、その年ニューヨークで開かれた共和党大会に反対するデモに参加したときだ。が、滞在中ずっとデモだったりなんだったりで観光はこれっぽっちもしていないので、どこに行ったのか、何をしたのかもおぼろげにしか覚えていない。全米から集まったラディカルなグループが、マンハッタン各地で多種多様な行動を勝手に企画し、何をするのかよくわからないままついていっただけの私は、ただその数と熱量に圧倒されたのだけは覚えている。911後のイラク反戦運動などの余波もまだ残っていた時期で、「運動」にパンクスがガンガン参加していて頼もしかった。
今回ニューヨークには6日間の滞在だったが、この間に見たニューヨークのハードコア・パンク関連のことは、EL ZINE vol.30, 31と2回に分けて掲載される予定なので、そちらをどうぞ。相変わらずの「ジェントリフィケーション」をキーワードに、レコード屋や見たライブのことを書きました。
Deborah Harry

しかしそれにしても寒かった。最高気温は連日3度とか。陽は出てても風が強い。ベタベタの雪も降った。パーティー野郎じゃないので夜は近所のバーに行ったくらいだが、一つ行ったライブの帰りは、寒さでもう泣きそうだった。まあ暑いよりはいいか。
あと他には、翻訳関連の資料やら本探しでひたすら古本屋を回ったり、もはやカンパ制ではなくなってしまったメトロポリタン美術館に行ってベックリンの「死の島」の第2バージョンを見たり(展示物は多すぎるし人も多いし、1日で全部見る気にはなりません。チケットが3日間有効ってのはそういうことなんだろう)。滞在前半はグリニッチビレッジのあたり、後半はブルックリンのプロスペクトハイツと、それぞれakの友人たちのところに間借りさせてもらっていたのでいろいろ助かった。あっちは部屋の住人本人がいなくても、友人がしばらく滞在するから、とドアマンに鍵を預けておいたりとかが普通にできて(そりゃ民泊も当たり前)、日本みたいな、賃貸の契約時に念押しされる、「第三者を勝手に住まわせない」みたいなルールはないわけだ。そういえば昔岐阜に住んでいたとき、海外の友人数人を家に泊めた際、彼らが到着して30分もしないうちに管理会社から電話があり、「鈴木さん、怪しい外国人を泊めていらっしゃるんですか?」とぶしつけに聞かれたことがある。ふざけるなと電話口で怒った覚えがあるが、どうやら同じアパートの誰かが「密告」したらしかった。友人がただ遊びに来ただけでこのありさま。そりゃここまで移民・難民に冷酷な国にもなるわけだ。「日本は『日本人』のもの」という無意識が、様々なレベルにおいて共有されているんだろう。恥ずかしい。
bushwick

古本屋は結構回ったので、昔ここでエルサレムの古本屋や那覇の古本屋について書いたみたいに、そのうち書くつもり。
滞在中は相変わらずファラフェルばっかり食ってたが、もうさすがに書かなくてもいいか。東京でもおいしいファラフェル食べたい。
あとニューヨークのあとはワシントンDCにも行って、ちょうど銃規制強化を訴える”March for Our Lives”の大規模集会が24日にあって見てきたので、これも書いておこう。
March for Our Lives 0324

ただまあ今回の旅の主な目的は、今のニューヨークのパンクシーンや、これまでのニューヨークのパンク的「名所」を見ておこう、ということであり、それらはEL ZINEに載るのでここではまだ書けないんだな…。

ブルックリンで見たデコトラ

ブルックリンで見たデコトラ

02. April 2018 by sats
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EL ZINE vol.29 -SWARRRM インタビュー

EL ZINE vol.29は2月28日発売です。

今回は、2月16日に5枚目のアルバム『こわれはじめる』をリリースする、神戸のグラインドコア・バンド、SWARRRMにインタビューをしています。
今回、アルバム発売に合わせていろんな媒体にインタビューが載っていて、いくつか読みましたが、ああこの人はこういう視点で聞いているんだ、とか、SWARRRMはこういう風に解釈されているんだ、とインタビューさせてもらった側として、様々な発見が多かったんですが、それはSWARRRMというバンドがいい意味でとらえどころのない、常に新しいことをやっているバンドということの証左だということに尽きます。

SWARRRMとは、昔僕がやっていた無我というバンドでSplit CDのリリースがあったりと、いろいろお世話になっていましたが、今回はギターのKapoさんから声をかけてもらい、EL ZINEでもインタビューを掲載してもらうことになりました。せっかくの機会ということで、他の媒体ではあまり触れられていない部分についても話をしてもらえたので、ぜひ買って読んでもらえればと思います。
インタビューのリードにも書きましたが、今回の新アルバムはまたひとつSWARRRMの「新しさ」を更新するものになっていて、グラインドコアを超えて、最近であればZAYやassembrageから、最近のポスト・パンク/デスロックのリバイバルに興味のある人も聞けるような内容だと、個人的には思います。


EL ZINE / VOL.29
29

A4/表紙カラー・本文モノクロ/表紙含め全50ページ

●Nika
(東欧ポーランドを代表する女性ヴォーカル・ハードコア・バンド、POST REGIMENTのヴォーカリストにして、その解散後は、DEZERTERやMOSKWA等のメンバーが指揮したフォーク・パンク・バンドR.U.T.A.へのゲスト参加、現在ではPOCHWALONEとMORUSという2バンドで活動しているNikaことDominika Domczykへのインタヴュー)

●UNA BESTIA INCONTROLABLE
(ex.DESTINO FINALやex.GLAM、ex.CROSTA等々のメンバーを擁し、4月~5月に来日ツアーを予定しているスペインはバルセロナのハードコア・バンド、UNA BESTIA INCONTROLABLEへのインタヴューby Shogo氏/ALTERNATIVE SOLUTION)

●HARAM
(アラビア語で歌うNYCのハードコア・パンク・バンド、HARAMのヴォーカリストであるNaderへのインタヴュー)

●Per Thunell
(スウェーデンのグラインド・コア・バンドFILTHY CHRISTIANS、そしてFILTHY CHRISTIANSとMOB 47メンバーによるハードコア・プロジェクトPROTES BENGT、更にはスラッシュ・ハードコア・バンドBRUCE BANNER、そして3月~4月に来日ツアーを予定しているSEX DWARFのヴォーカリストでもあるPerへのロング・インタヴュー)

●KONTON CRASHER
(アメリカ/クリーヴランドでD-Beatやロウ・パンク・バンドのリリースを手掛けているレーベル、KONTON CRASHERのオーナーであるGaki Nezumiへのインタヴュー)

●Umea Punk City
(ex.AC4~現ACID BLOODのKarlによる、スウェーデンUmeaの現地情報コラム)

●SWARRRM
(ニュー・アルバムを2月にリリースする神戸のグラインド・コア・バンド、SWARRRM へのインタヴューby鈴木智士氏)

●DISGUNDER
(東京のグラインド・コア・バンドDISGUNDERの女性ヴォーカリスト/アンナ氏へのインタヴューbyツトム氏/悲観レーベル)

●DEFORMATION QUADRIC
(昨秋にアルバムをリリースした大阪のノイズ・コア・バンド、DEFORMATION QUADRICへのインタヴュー)

●有刺鉄戦
(弱冠16歳、高校一年生による広島のハードコア・バンド、有刺鉄戦。そのベース・ヴォーカルalatapunk氏へのインタヴュー)

●D-CRASH
(中国は北京発のD-Beatパンク・バンド、D-CRASHのヴォーカリストであるYu Zi Yangへのインタヴュー)

●GHOSTMAKER
(ex.OXYMORON、ex.MAD
SINのメンバーらによるドイツ/ベルリンのオルタナティヴなパンク・バンド、GHOSTMAKERへのインタヴューby Mosh/Knock Out Records)

●LASHING SPEED DEMONS:EL ZINE的IGGY POP史
(IGGY POPのバイオグラフィー及び、IGGY POPがパンク/ハードコアに与えた影響についてby 大越よしはる氏)

●チャレンジ・インタヴュー
(ハチマンユウイチロウ氏[SOW THREAT])

●ES GIBT KEIN WERT
(発行人によるディスク紹介)

15. February 2018 by sats
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【書評】MDC: Memoir from a Damaged Civilization /Dave Dictor

EL ZINE vol.28 (2017年12月発売)に掲載してもらった、再来日間近、MDCのボーカル、デイヴ・ディクター氏の自伝本、”MDC: Memoir from a Damaged Civilization: Stories of Punk, Fear, and Redemption (Manic D Press)”の書評をここにも載せておきます。

今週木曜から始まる2回目の日本ツアーは、約10日間をかけて、西は広島まで色々な場所を回るみたいなので、より多くの人が、あの素晴らしいライブを見たらいいんではないかと思います。「年をとってもハードコア・パンクでいること」に対して答えを提示している、1つの素晴らしい現在進行形のバンドです!

ツアー日程等は下記フライヤーと、こちらのfacebookページに載っています。
MDC 2018 tour


・MDC: Memoir from a Damaged Civilization: Stories of Punk, Fear, and Redemption
/Dave Dictor (Manic D Press)

パンク友人たちや家族への愛と、実のともなった平等主義
「人と人との間に大きな差はないんだ」と叫び続けて38年。MDCがまたやってくる!

MDC Dave Dictor

MDC。Millions of Dead Cops。死んだポリ公がウン百万人。今更だが、何とパンクの宿命を背負ったバンド名なんだろう。Slayerと並んで、「アメリカで最も邪悪なバンド」と呼ばれたのもダテじゃない。

MDCの前身バンドにあたるThe Stains(最初期はReejexというバンド名)の結成が1979年なので、今年で結成38年。今年2月には初来日を果たし、年齢なんてまったく関係なし、誰がどう見ても現役バンドの熱量を持ってライブをやっていると感じさせる、とんでもないライブを見たのは記憶に新しいどころか、あんなに衝撃を受け感動したライブは、ここ数年でもMDCだけだ。
そのライブの物販で、本書、MDCの首謀者でありボーカルのデイヴ・ディクターの自伝が(氏のサイン入りで)売っていた。このハードコア・パンクのオリジネーターは、一体どんな人生を送った上で、齢60を越えてもあんな説得力のあるステージングができるんだろうか。

恐らく80年代当時から、MDCのレコードや“P.E.A.C.E.”コンピを手に取ったり、映像を見たりしてきた人なら知っていて当たり前の話なのかもしれないが、MDC=デイヴ・ディクターと言えば、DEAD KENNEDYSのジェロ・ビアフラ、MINOR THREATのイアン・マッケイと並んで、アメリカン・ハードコアにおける「政治的なバンド」の代表格。かろうじてデッケネやMINOR THREATは聞いていた10代の自分に、ダビングのダビングのタビング程度には映像が劣化した“Target Video”のビデオテープが回ってきて、CRUCIFIXの後に登場する、このちょっとぽっちゃりしたボーカルを擁するMDCは、速くて何かインパクトがあるバンドだなあ、なんて思ったりしたものだ。

本書はデイヴ・ディクターが自ら執筆した自伝だ。それは即ちアメリカのハードコア・パンクの胎動から現在にいたる道程を、デイヴの視点で追体験する旅となる。誰かの自伝や伝記を読むことは、『トータル・リコール』体験みたいなもんだ。

 パンクに出会う前の10代半ば、なぜ人間は肉を食べるのだろう、という疑問を持ったデイヴは、それをカトリックの母親・エヴェリンに話した。すると母はエピフォン製のギターを持ってきて、「そういう世の中への疑問を歌にしてみなさい」とデイヴを後押しする。他にも母に関するエピソードは多く、デイヴのパンクの基礎となったものは母の影響が大きいようだ。また、デイヴは自身をバイセクシャルと自認していると書いているが(それぞれの時代に付き合っていたパートナーの話もよく登場する)、そもそもデイヴ6歳の頃、カトリックスクールの先生(尼さん)に「男の子と女の子の差って何?」と聞いたら、その先生は「女の子はオチンチンが外に出てないだけで、あとは男女の差は特にないのよ」、と答えたという。その答えがしっくりきて、「性差」を特別に意識することがなくなったということだ。この経験が以降のデイヴの「平等主義」に影響していることは間違いない。

さて、79年のテキサス・オースティンでのバンド結成~サンフランシスコへ移住してからの、アメリカン・ハードコア黎明期におけるMDCの熱心な活動ぶりは改めて言及するまでもないが、デイヴが自身の記憶を振り返りながら書く細かいエピソード群は、まるで彼自身が撮影したドキュメンタリ映像を見ているようだ。もちろんあの有名なBAD BRAINSとのエピソードも語られる。1982年4月1日、大好きなBAD BRAINSがサンフランシスコにやってきて対バンし、そのまま彼らのツアーに加わることになりテキサスへ。ヒューストンでのライブの後、MDCの地元オースティンでのライブのリハで、地元のDICKSのGary FloydとBIG BOYSのRandy Biscuit(2人とも80年代のパンクシーンでは珍しいオープンリー・ゲイのパンクス)を見たBAD BRAINSのHRが、「こんなクソホモバンドとやりたくない」と言い出し、他にも「女性はツアーなんかに来ずに、家にいるべき」など、彼の宗教観から来るミソジニーを臆面もなく語りだす始末で、そのライブの翌日についに決裂。それ以来MDCはBAD BRAINSとライブをやることもなく、デイヴはHRと言葉を交わしたこともないらしい。この出来事がMDCの“Pay to Come Along”という曲に結実しているのはご存知の通り。たとえ好きだったバンドだったとしても、それが「身内」であろうとも、その考え方が自分のものとは相容れないならば、その間違った部分を批判するのが彼のハードコア・パンクなのだ。デイヴに「なれあい」は通じない。

その後1982年、DEAD KENNEDYSに頼んで連れてってもらった初のヨーロッパツアーでは、ヘッドライナーのデッケネの40%しか音量を出してもらえないことに、「パンクは(音量も)平等であるべき」と文句を言い、イギリスのレスターでのライブでは右翼スキンヘッズにボコボコにされて入院(リアル版『グリーンルーム』だ)、まだ東ドイツの中にあったベルリンでもライブをやり、翌1983年は青年国際党のイッピーたちと一緒に、全米で反レーガン政権のデモやライブが渾然一体となって行われた“Rock Against Reagan”ツアーに始終した一年で、同党のマリファナ推進ポリシーで、何千人と集まる会場ではジョイントがふるまわれ、ニューヨークではトラックの荷台で移動ライブ、ワシントンDCではリンカーン記念堂の前に1万人が集まるなど、「時代」を感じるエピソードがこれでもかと語られる。ちなみに10月23日のサンフランシスコ、この年最後のRARのライブでの司会者が、当時まだブレイクする前のウーピー・ゴールドバーグとボブキャット・ゴールドスウェイト(!)という超楽しそうなライブに、1万人集まった(ラインナップはデッケネ、MDC、Contractions)というのも忘れがたい小話で、一体どんな雰囲気だったんだろうと妄想は膨らむ。
RAR flyer1
オランダの企画者による83年末から84年2月にかけての2回目のヨーロッパツアーでは、オランダの前にイギリスでCRASSに企画してもらっていたら、入管でついにそのバンド名が仇となり入国拒否。これについてはANTISECTのメンバーもあるインタビューで、「CRUCIFIX、DIRTとツアーしてたときに、MDCと対バンする予定だったんだけど、彼らは入国できなかった」と言っていたのを思い出す。この時MDCはイギリスには行けなかったのだが、この時代のヨーロッパは、イタリアから広まりだしたスクワット文化が花開いた時期で、MDCの政治的スタンスもそれと合致したおかげで、ライブは各地好評だったらしい。

とまあこういったMDCの活動の歴史が当時の状況と合わせて語られるわけだが、Maximum Rocknrollの創始者ティム・ヨハナンが、MRRのラジオで彼らのレコードをかけたことが全米に広まるきっかけとなったバンドは、そのMRR的な左翼スタンスに合致するバンドとして認知され、逆に白人至上主義と結びついたスキンズからは目の敵にされ、地元だけでなくツアー中にも、そういったスキンズとケンカになったり襲撃された話も絶えず登場する。そこでもデイヴは、時には格闘して負傷し、また別の時にはそういったスキンズを諭しながら、自らのスタンスを変えることはもちろんない。特に彼のセクシズム、ホモフォビアへの攻撃に対抗する姿勢は一貫しており、「人間に大きな差はない。だからそういったヘイトをなくしたい」ということを本書の中でも繰り返し書いている。
たとえば初期のアメリカン・ハードコアのシーンは、先述のHRの発言にあるように、「女性をライブに連れてくるべきではない」という意見が大多数のマッチョな雰囲気を抱えており、その中でデイヴはあえて女性の友人にツアーに同行してもらったらしい。こういった男性主義のシーンに風穴を開けたい、という彼の思いや行動は、先述の「男と女に違いはない」、という彼の平等主義を物語る一つのエピソードだろう。

80年代後半に当時の彼女と別れ、息子ともはなればなれになってしまった心の隙間を埋めるために、90年代初頭にはメス(メタンフェタミン)中毒になってしまったデイヴ(「政治的バンドがドラッグ中毒」というイメージについても、自身の中で葛藤のようなものがあったとも書いている)。生活再建のために息子のいるポートランドへ引越し、しばらくはドラッグから離れた生活を送ったものの、あるきっかけでまたドラッグ漬けの生活に逆戻り。決して「いい話」ではないのだろうが、POISON IDEAのPig Championとメス三昧で、一緒にSUBMISSIVESを結成し、音源をNOFXのFat Mikeに売りつけて、そのレコードの売り上げでさらにドラッグ漬けになり、しまいには売人にまでなって……という彼の人生の明暗が、赤裸々に語られているのも本書の読みどころだ(KKKの女性や共和党青年部の女性と、彼女らの素性を知らずに寝てしまった、なんてこともさらりと語りながら…)。

 そのPig Championもそうだが、パンクシーンに長く身を置いて過去を語るとき、やはり既に亡くなっている人も多い。そういった亡き友人たちや家族(特に養父と母)との思い出も織り交ぜながら、デイヴが見せる友人や他者に対するまなざしは、いつも優しくあたたかい。MDCのメンバーも入れ替わりが激しいが、それぞれのメンバーについてページを割き、面白おかしく書いているのも、彼のやさしさの表れだろう。それゆえにみなデイヴについていき、ひいてはバンドが長続きするというわけだ(特にオリジナルメンバーで現在も一緒に活動している二人、ドラムのAl SchultzとギターのRon Posnerについては、色々あったけど大好きだよ、というデイヴの思いがよく伝わってくる)。

その後、90年代末から息子と一緒にニューヨークの両親のところに住みながら、特別支援教育の修士号を取って特別支援学級の現場で働き、MDCを再結成、ツアーやアルバム“Magnus Dominus Corpus”のリリースを経て再びポートランドへ戻り、両親も亡くなり、デイヴもブドウ球菌感染という病に苦しみながら、何とか病気を克服し、今も世界中をツアーしている。そしてそんなMDCは2018年、再び日本にやってくるのだ。
MDCの代表曲の1つでもある、“No war, No KKK, No fascist USA”のコーラスが印象的な“Born to Die”は、1980年にオースティンでKKKがデモ行進をしたときに、300人のパンクスと少しの過激派たちがKKKのデモ隊に投石し、行進を止めることができたという、「ストリート」での出来事から作られた曲だ。今はそれを“No Trump, No KKK, No fascist USA”と変えて歌っているのは、去年のライブで見た通り。このエピソードと同じような状況が、37年経った今、世界中で起きているのもこれまた事実。これはやっぱりMDCを見に行って大合唱するしかない!

書評のはずなのに、ほぼエピソードの紹介で終わってしまってすみません。但し書ききれなかったエピソードは他にも数知れず。今度のツアーでもまた売っているかもしれないので、ぜひ買って読んだらいいと思う。デイヴの英語は簡潔に書かれていてとても読みやすいし、偉そうに持論を述べることもない。デイヴが書くのは、あくまで長年のパンク生活で彼自身が何を体験し、どう思ったか、ということだけだ。
再び彼のステージングが見られることを楽しみにしながら、最後に本書のエピローグを抄訳して終わる。

「私にとってパンクとは、現状への服従に抗う苦悩と同じことだ。ヒッピー世界の理想が堕落し、その理想とは真逆になるのをじかに見てきた。結局彼らは音楽の商業主義化と商品化を受け入れ、ロックンロールをひとつの単なる機械にしてしまい、ミュージシャンをその歯車と化してしまったんだ。その事実が私にとっては、商業主義文化から自由になるための刺激となり、自分自身を100%パンクに没頭させることになったんだ。」(P.187-188)

22. January 2018 by sats
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