無題(サッチャーのこと、昨日見たライブのこと)

サッチャーが死んだことについて、友人と話した。
サッチャー(英語で発音する時は頭をちゃんと”th”にしないと通じないことをその死と共に教わった笑)が唯一行った「良い事」というのは、80年代を丸々含むその首相在任期間で、イギリスのワーキング・クラスを、つまりパンクスを怒らせたことで、それによってパンクが少なからず活性化し、数あまたのバンドが彼女を糾弾した、ということだけだろう。1年ほど前だったかサッチャーの伝記映画みたいなのがやっていたが、あんな映画を見て「ああサッチャーも血が通ったこんな人だったんだ」(内容見てないからどんな映画か知らないけど、ご丁寧に邦題に「鉄の女の涙」なんて付けてしまっているので、おそらくそんな情を誘うような作りの映画だろう)などと感慨を寄せるのには吐き気がする。
政治家には良い部分も悪い部分もある? そんなことはどうでもいい。問題はその「悪い部分」によってどれだけの人々の生活が圧迫され虐げられたか、死に追いやられたか、ということだ。「良い部分」なんかを気にできるのは、日々の生活にも困らずそれなりに消費を満喫する暮らしをし、NHK辺りを一生懸命見ながら政治家たちの「悪い部分」もスペクタクルに傍観できるような寛大な心を持った、いわゆる「勝ち組」の、金と私欲に汚染された脳だけだろう。
2004年にレーガンが死んだ時に、Maximum Rocknroll誌などで、レーガンがパンクシーンにいかに貢献したか、という内容の記事を読んだ覚えがあるが、今回もそういうのが出てくるのだろう。ただ、中曽根が死んだ時には、そんな記事は書かれるのだろうか、とふと思った。小泉あたりになったら、出てくるのか、出てこないのか。

そんなわけで、昨日はD-cloneのラストライブを見た。やりたいことをやり切った上での解散だと思うが、潔くてかっこいい、というのが正直な感想だ。最後のライブも物凄くソリッドで、清々しさすらあった。
D-cloneが凄いところは、国内外問わずツアーをバンバンやったその行動力だと思う。特に昨年の1ヶ月以上に渡る北米~ヨーロッパツアーは、なかなか真似できるものでもない。
当たり前だが、ツアーをするには長い間日常の生活から離れなければならない。仕事も休まないといけないし、動物を飼っていたら誰かにその面倒も見てもらわないといけない。パートナーがいたら子どもがいたら、それもまた考えないといけない。日本で自由に休みを取るには、それこそ日雇いや短期の派遣労働のような自分の時間の都合のつく職種に限られる場合が多く、必然的に低所得になりやすい。そのあまり多くない賃金の中から、日々の生活費や高い税金、車があれば車にかかる費用(悪しき車検!)、そしてバンドにかかる諸費用も賄わなければならず、生活がままならなくなるリスクすらある。ツアー中に得られる雀の涙のギャラで交通費や渡航費などがカバーできることもあるが、毎日何百人もの前で商業的なライブをするわけでは当然ないので、それはあくまで足しになればいいなくらいの感覚である(もちろん企画の方法によってそこらへんは事前に話し合われるものだと思うので、一概には言えないが)。
というわけで、働かないと生きていけない、ツアーに出る余裕が金銭的に、時間的にない、というのが日本のバンドがなかなかツアーに、とりわけ長期で海外ツアーに行けない理由なのは自明だ。ツアーの度に仕事を辞めて、帰ってきたら無職、仕事がない!という友人は何人もいたし、私も経験した(どころか未だに経験中・・・)。運よく会社に理解があれば帰ってきても継続できるのかもしれないが、そんなところは限られているはずだ(そんな会社は素敵だ)。土日有給併せて2週間、などもありえるのかもしれないが、そもそも有給を取れる仕事に就くのが難しいこのご時勢では、あまり現実的ではない。非正規雇用が35%を超えたなんてニュースもある現在、有給、ボーナスが付く仕事なんてのはそれ自体が特権的なものにすらなりつつある。D-cloneに「Weekend Punk」という曲があるが、不勉強な私は歌詞は読んだことがないけど、おそらくそんな内容なのではないか。平日はスーツなど来て真面目に仕事して、週末だけパンクやってるなんてナンセンスだぜ、みたいな。
日本にいると、「好きなことやってるから自業自得だ自己責任だ」と簡単に揶揄されそうな気もするが、その言葉が出てくるのは、「人は大人になったら働くのが当然であり、結婚して子供を作って立派な社会の歯車になるべきである」のような、高度経済成長期的超ステレオタイプな生き方が未だに盲目的に信奉されているからであろう。って書いたら、これ本当に『ゼイリブ』そのままじゃん。その他を認める心的余裕がないからそういった侮蔑の言葉が出てくるわけでもあり、まあ嫌々労働してると心まで狭くなっちゃうとよ優しく言ってあげたい気もする、サングラスを早くかけようってね。つまるところ、前述の「サッチャーの良い部分」的言説がパンクスから出てくるというのは、未だにゼイリブ的世界に侵されていることの裏返しだろう。NHKのキャスターはみんなエイリアンなのかもしれないよ、なんちゃって。

やりたくもない労働をしないと生きていけない社会というのは何とも悲しいものである。その中でまた、細々とした嫉妬や憧憬、憎しみなどによって更に小さなヒエラルキーが醸成される。それが生活保護叩きであったり、憂さ晴らしのためのマイノリティー迫害のような、弱者が弱者を叩くという構図に繋がるわけだ。それではサッチャーの、ネオリベの思惑通りである。日本社会が既にそういう仕組みで出来上がってしまっているからもう仕方ない、と諦めるよりは、その中で何とか自分たちの生きやすい方法で生き延びていく、サバイバルしていく術を、方法を、見つけたい。あまりに基本的なことで、とても陳腐に聞こえるかもしれないが、昨晩の「Making Punk Future」を見ての、初心に帰ったような、率直な思いである。

あと、昨日初めて見たRappaがかっこよすぎて痺れた。やっぱりあのドラムの出音を聞くと、興奮する。

バンド名もそのまま「薬中サッチャー」、こんなバンドもいたんだ。しかもかなりかっこいい。

15. April 2013 by sats
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