TIFF2015で見た2本の映画 & wtf is「サムライ賞」?

記事がEL ZINEのことばかりなので、たまには何か書こう。何か書こう!と思っても、実際に書いたためしがないので、ここは手っ取り早く、先週見た映画のことでも。

いつも何本か見たい映画があって、見にいかなきゃと思っているうちに、気が付けばいつのまにか終わっている東京国際映画祭。ようやく今年は見たい映画が見れた。これもツイッターで流れてきた情報のおかげである。こういうのは便利。
といっても2本見ただけだが、どちらももう1回ずつくらい見てもよさそうな映画なので、ちゃんと公開してくれるといいんだけどというおもいも込めて、以下感想文を…。

コスモス
2015年 フランス、ポルトガル
監督:アンジェイ・ズラウスキー
今年の頭だかにIMDBを見ていて、ズラウスキーの新作! 見たい! ゴンブローヴィッチの原作は意味不明すぎて中座したまま! と思っていたら、いちはやくTIFFでかかったのでこれは見に行かないとと思って、わざわざ仕事を休んで日当減らして平日の朝10時に新宿へ。眠い。
あまりかからないズラウスキーの映画はレンタルやら輸入DVDで結構見たつもりだが、あの脈絡をすっとばして突然針が振り切れる、やりすぎ描写がけっこう好きになってしまい、もうあれは、別にその裏にいちいち意味を見出さなくてもいいような気がしている。もちろん「狂ってる」だけでかたづけてしまうのはよくないにしても、映像としてのインパクトは十分で、それはそれで心にしみついていく。ベルリンのロケ地まで行ってみた『ポゼッション』のイザベル・アジャーニのあの怪演は一度見たら忘れないだろうし、『狂気の愛』や『悪魔』なんてほぼ全編躁状態。見終わったらただ圧倒されていて話のスジなんてほとんど覚えていないが、何かいけないものを見ちゃったなあという感触だけ残る。それは作品を理解することを拒否している!とかいう意見もありそうだが、まあ私は映画オタクでもなんでもないし、鈴木則文先生も「映画は打ち上げ花火」と形容していたことだし、いつごろからか、刹那的に消費してしまえば満足するようになった。
さて本作。痩身のイケメンはMacBookに奇天烈な小説の断片をタイピング、外連味たっぷりにパゾリーニやゴダール、トルストイやスタンダールなどの名前が特段の用事もなく登場し、唇や縊られたスズメが何度も画面に映し出されて、でも話の本筋はよくわからない。痩身の男が、下宿先の娘(既婚)にホの字で、その二人の(観念的に)ねっとりした関係が軸なのはたしかだが、下宿先のマダムを筆頭に登場人物ほぼ全員がエキセントリックなので、これは瞬間を楽しむズラウスキー映画なんだ、と途中で思うようになる。現に上映後の痩身俳優(ジョナサン・ジュネ)のQ&Aで、彼も「理解しようとするのは無理。理解できないが、何か感じるものがあるかどうか」というようなことを言っていた。ゴンブローヴィッチの意味不明な同名作の枠組みを拝借し、そこにカオティックなものをつめあわせて、「コスモス」というわけなのだろう。つまりズラウスキーのやってることは、昔と何ら変わっていないということだ。いや、昔の『夜の第三部分』とかは、それでもまだストーリーっぽいものがあった気がするから、より混沌としてひっちゃかめっちゃかになっているということか。

ルクリ
2015年 エストニア
監督:ヴェイコ・オウンプー
今回かかる映画一覧をなんとなく見て、エストニアの映画は見たことないし、これは面白そうかな(しかも見れる日時で)と思って、普段は日比谷線で素通りするだけでまったく縁のない六本木TOHOへ。バカでかい劇場は好きだけど、やっぱり私みたいな田舎者からすると、六本木はやだな。
劇中、詳細は語られないが、戦時下(いわゆる「核戦争」的で、ポスト・アポカリプティックな終末イメージを想起させる雰囲気)に農村で住む一組のカップルとその親類、友人の4人のもとに、闖入者が現れて……というような話。ほとんどストーリーはなくて、絶望的な状況下でのコミュニティ内の不和や関係の変化、個々人の決断を、インプロ的に描いているわけだが、ジャージやサッカーチームのユニフォームに身を包んだ「ペドゥー」という山賊が、たとえばギリシャの「黄金の夜明け」みたいな、21世紀のファシスト集団を彷彿させて、そんなことも取りこんでいるのだろうかとおもいながら見ていた。
ネタバレになるが、山賊が追いかけていた2人の「旅人」は、本から鳥を取り出せたように、山賊の恐れるなにかの力を持っていて、(核)戦争という「大きな」争いの下で、こういったコミュニティどうしの「小さな」諍い(それは昨今ヨーロッパで、アメリカで、日本で横行するレイシズムにも似ている)も同時進行しているということなのだろう。
ただストーリーはこちらも外連味満載なので、『コスモス』のように、理解する必要があるという類の映画ではないような気もするが、始終映像は美しいし、音響も素晴らしかった。戦闘機の音はバカでかくて耳をつんざくようだし、劇中にカセットテオープから流れるストゥージズみたいなバンドもかっこよく、そしてラストはサム・クックの「A Change Is Gonna Come」で、これといった明確な希望はないんだけど、それでも絶望にとどまるべきではない、というメッセージだったのかもしれない。
この映画も上映後すぐにQ&Aがあって、そこで監督が言うには、ロシアのウクライナ侵攻に対する根源的な不安がこの映画製作のベースにあったという。ご近所のバルトの国ならではということか。そしてそこに映画的実験(製作費もクラウドファンディングで募って、スタッフはノーギャラとのこと。売り上げを等分配するらしい)もぶちこんでこんな異様な映画を作るんだから、大したものだというか何というか。
このヴェイコ・オウンプーという監督についてググっていたら、「ヘヴィ・メタルのギタリスト」とか書いてあったので、あの音響はなるほど、モダンなメタルに因を発しているのかもしれない。Q&Aで、同通の方は訳しきれていなかったが、冗談めかしながら「ポストロックのバンドでもやってまた来日したい」と言っていたので、自分が普段聞いているのに近いような音楽をもとにしてこの映画を作っていたのかもしれないなと。

さて、深淵とも虚仮おどしとも言える2本の映画を今年のTIFFで見て、そういや『ルクリ』はコンペティション部門での上映だったから、もしや何か受賞でもしてはいまいかと、TIFFホームページを確認してみた。何にもひっかかっていなかった。かわりに目に入ったのは、山田洋次とジョン・ウーが受賞している「SAMURAI賞」。何だこれ、ふざけてんのか? 一体どんな賞なんだろうとググってみると、「比類なき感性で『サムライ』のごとく、常に時代を切り開く革新的な映画を世界へ発信し続けてきた映画人の功績を称える“SAMURAI(サムライ)”賞。第2回“SAMURAI(サムライ)”賞を山田洋次監督、ジョン・ウー監督の両氏に贈ります。」(http://2015.tiff-jp.net/news/ja/?p=32103)とある。「サムライジャパン」だとかなんだとか、ことあるごとに「サムライ」と現代ニッポン人をむすびつける言葉があふれかえっているのは周知の事実だが、「サムライ」ってのはいつから「革新的」という意味の形容詞になったんだ? しかもそれを「国際映画祭」で非ニッポンの映画監督に向けて使うという、このゴミ屑的国際感覚……。吐き気のした去年の同映画祭の悪名高きキャッチコピー:「ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督の出身国だった。お忘れなく。」の延長にあるかのような、きもちのわるい賞名に、ジョン・ウーは本当のところ何を思っているのだろう。ああ、今回が第2回ということは、その去年からそういう感性が入りこんでいるということなのか(ちなみに去年は北野武とティム・バートンが受賞)。これは特定の個人の思想なのか、それとも昨今蔓延する「ニッポン最高!」的空気の一片鱗が、この映画祭にまで染み出ているのか……。
上映前に延々と東京都や協賛大企業のCMを大スクリーンで見せられるのにも辟易したが、まあこの規模になればそれは仕方ないとして、「サムライ賞」は一体どう受け取れというのか。見たい映画を行きたくない映画祭で見ることについて、もうちょっと考えないといけない。

03. November 2015 by sats
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