Cris(Etniko Bandido Infoshop)インタビュー -フィリピン・パンクシーンのアクティビズムについて-

EL ZINE vol.20に掲載してもらった、フィリピンはマニラのEtniko Bandido Infoshopのクリスへのインタビューをこちらにも載せます。インタビューの経緯等については、こちらをご参照ください。


Cris (Etniko Bandido inforshop)インタビュー
-フィリピン・パンクシーンのアクティビズムについて-

(EL ZINE vol.20に掲載)

2013年の9月にフィリピンに行ったときにマニラで出会った、痩身長髪、クールないでたちのパンクスが、今回インタビューしたマニラのインフォショップ、Etniko Bandidoのクリスだ。そのときは一緒にいる時間もなく、数言はなしただけだったが、その直後にフィリピンを襲った台風の支援を通してよく連絡をとるようになり、その素晴らしくオーガナイズされた支援活動には、私もいろいろと勉強させてもらった。
このインタビューでは、実践的なアナキズムを地道に行っている彼らのコミュニティが、ふだんどんな活動をしているのか、またフィリピンのパンクシーンにおける、パンクスと政治性とのかかわりにはどんなものがあるのかなどを聞いてみた。クリスが語る、フィリピンのパンクシーンの一部で行われている活動は非常に多岐にわたり、日本では見られないものもあるので、興味のある人は記事の一番最後に載っている彼のメールアドレスにコンタクトして、フィリピンに実際に行ってみたらいいと思う。そこには数々の刺激的なアクションとともに、あふれんばかりのホスピタリティと、カラマンシーたっぷりのおいしいフィリピン料理が待っているのだ!

Etniko Bandido Infoshop

Etniko Bandido Infoshop

■ではまず自己紹介を。クリスがやっているEtniko Bandido Infoshopの歴史や活動、また2013年の台風支援のプロジェクトについても教えてください。

こんにちは。クリスといいます。仕事はトライシクル(フィリピンの主要な交通手段の一つである、三輪タクシー)の運転手をやっています。前にURBAN CHAOSや、CONFLICT OF INTERESTというバンドをやっていました。今はLiberationというニュースレターの配信をやったり、Etniko Bandido Infoshopを仲間と一緒にやったり、Mobile Anarchist Schoolと、Mindset Breaker Press/Distroというプロジェクトにも関わっています。

Etniko Bandido Infoshopは、2010年9月に始まった、寄付金ベースのプロジェクトで、ラディカルな意識を広げるための自治スペースです。そこではオルタナティヴな情報やリソースを提供しています。また会議、ワークショップや映画の上映、勉強会、セミナーなどにも利用できます。この現代の、システマティックに洗脳された状態に対抗するアイデアのための場所というわけです。

私にはJueyというパートナーがいて、彼女はカラマンシー・ジャムや、編み物のかばん、ブレスレットや他の手芸品を作ったりしながら、地域経済を支えることを目指した活動をしています。
Etniko Bandidoはまた、警察の暴力に反対するキャンペーン、反APECO( Aurora Pacific Economic Zone and Free port ※1)、ルネタの行商人排除への反対運動(※2)、反選挙キャンペーン、オキュパイ・ウォールストリートへの連帯行動、公平な温暖化対策、Food not Bombsなど、様々な社会政治や環境に関する行動やキャンペーンなどに関わっています。
あとはパンクのライブや展示、またフィリピン大学やフィリピン工芸大学で行われたAnarkiya Festivalなんていうのも開催しています。

フィリピン大学での展示

フィリピン大学での展示

2013年11月にフィリピンを襲った超巨大台風ハイエン(ヨランダ)についてですが、私と友人たちで、台風の被災地に行って支援を行いました。最初は、たくさんの人たちが既に食糧や飲料水、薬や毛布などを与える支援を行っていたのもあって、どのような支援をすべきかアイデアがありませんでした。なので、他に何ができるかをきちんと考えた結果、友人からの助言もあり、代替となる電力の供給を行うことにしました。そのアイデアを実行することに決めてから、地元や海外の友人たちに向けて、このソーラーパワーとインターネット/電話利用のためのミッションについてアピールを行いました。地元や海外との連帯のおかげで、このプロジェクトを開始することができ、Solar Guerilla Autonomous Respond Teamが生まれました。

Etniko Bandidoでソーラーパワーのワークショップ中のクリス

Etniko Bandidoでソーラーパワーのワークショップ中のクリス

私たちの友人のひとりがその地域の人を知っていたので、 レイテ島のサン・ミゲールを救援場所として選びました。最初は、友人のBas、Mhel、Jueyと私の4人で現地に向かいました。ただソーラーパワーの機材や支援物資を持っていくのに4人では足りず、大変でした。マニラからバスで30時間行ったところにあるのですが、現地ではBasの親戚のところでキャンプをはり、そこで携帯電話やライトの無料充電の方法や、薬、救援物資の提供、Food not Bombsのような食事の提供、ストレス軽減の活動などについて相談しました。現地では、被災者は家族などへのメールや電話のために1~2時間の移動を必要としていました。
また支援活動を行いながら、ボランティア、自己管理や相互協力などのアナキズムの理念や価値を現地の人々に伝えました。また記録も行い、政府の杜撰な支援や救援物資の提供の計画性のなさなどを目の当たりにしました。ミッションは合計で1か月の間に3回行いました。友人やボランティアにお願いして、毎週違うメンバーで現地へ行きました。
現地でのリアクションは好意的なものばかりでした。現地の先生たちが、私たちがいつも黒いTシャツを着ているのに気付いて黒い服を着てくれていたこともありました(笑)。また被災して大変な目にあっているにもかかわらず、貧しい家族が料理を作ってふるまってくれたこともあって、そのときは感極まりましたね。そこにはある種の相互扶助があったと思います。

■私が2013年にThe Happeningの手伝いでフィリピンにツアーに行ったとき、各地の多くのパンクスやハードコアの人たちが。Food not Bombsのような活動に参加していることや、インフォショップが各地にあることが印象的でした。フィリピンではパンクスがこういった活動に関わるのは一般的なことですか? 現在のフィリピンのパンクシーンにおける政治的な動きについて教えてください。

すべてのパンクスやハードコアの人が政治的な活動に関わっているわけではないですが、例えばFood not Bombsは政治的なアクションのきっかけになるような活動になっています。ただすべてのFood not Bombsが献身的に活動を継続できているわけでもありません。
インフォショップや自治スペースは現在勢いをましていて、興味を持ったり影響を受けている人も多いです。自分たちの場所を創造することを考えているわけですね。個人的には、ムーブメントの新しい動きとして“The New Age of Territorialities(場所所有の新時代)”という見方をしています。現在の社会状況で、家族ベースの実用的なアクティビズムを実践し、生活するための新しいスペースや場所を創造する、ということです。フィリピンのそういった場所の多くは、カップルや子持ちの親、または同じ志を持った人々のグループによって運営されています。私にとっては、このスペースは政治的社会的スペースであると同時に、自宅でもあるわけです。
ただ、この場所をどのように維持していくかは引き続き考えなくてはなりません。この種のスペースでは、常に自分の理想や行動、政治性がどのように実現されるかを学ぶプロセスが存在します。責任や感受性、また敬意は、社会の一般常識から離れるための鍵となります。ただインフォショップや自治スペースは、フィリピンの一般の人々にとってはとても新しいものなので、彼らの興味が遠ざかっていっているのも感じます。近所の人たちからは良いも悪いも混ざった反応がありますね。

また現在フィリピンでは、別の生き方、新しい生き方や理解を模索するような、新しい反権力的な環境運動の波が来ています。家庭でソーラーパワーを使用している人もいますし、ガーデニングやパーマカルチャーを実践する人や、伝統的なハーブの薬について学んでいる人もいます。
昨年と今年で、私たちはフィリピン大統領の一般教書演説に対する”Sining、Kalikasan、Aklasan (「アート、エコロジー、抵抗」)”を企画しました。これは創造的なデモで、パンクスやアナキストだけではなく、福音派やアーティスト、庭師、 マハリカン(※3)、適正技術のデザイナー、環境活動家、ライターや詩人なども参加しました。
来年は他の地域で行う計画をしていますが、ボランティアで参加してくれる、信頼できる人を今探しているところです。

■そのフィリピンのツアーで感じたのですが、特に若い人の間ではニューヨークハードコアのスタイルが人気のようです。マニラにはどのようなバンドがいますか?

僕の知る限り、80年代から2000年くらいにかけては、フィリピンのパンクシーンは一つでしたが、今は分裂しています。今はクラスト/グラインドに比べると、ハードコアのシーンが大きくなっています。古いパンクバンドもまだ有名で、活動しているバンドも多いです。一緒に普段の活動などをやっているバンドを紹介すると、GOOD MORNING TOWELS、DISBAND、EYES OF FIRE、EXECUTION OF TERROR、VEX、REPUGNANT、BEFALL、TOXEMIA、DISABUSE、CANNABI CRUST、5TH OF NOVEMBER、CRAWLING CHAOS、TKNK、FLASH ELORDE、RUNSUCK、COMMIT ARSONなどがいます。

■現在のフィリピン政府について、政治的状況について教えてください。

フィリピン政府はいつも同じ家族によって支配されている、腐敗の温床でしかない少数独裁体制です。
政府は多くの活動家、学生、農民、先住民などを違法に殺したり、強制失踪させたりしています。
先日フィリピンの大統領は、石炭発電所を増設することを決定しました。また政府は土地のない農民に土地を与えることになる農地改革法をまだ実行していません。またこの国では就労の機会が増えないので、人口の12%の人たちは海外で働いたり、仕事を探しています。
政府は大企業や投資家と手を取り合いながら、新しいショッピングモールやデパートを建てるために、スラム地域や都市の貧困エリアを排除しています。政府から得られる社会福祉や援助は十分ではありません。貧乏人はますます貧乏になり、金持ちはますます肥えていくのです。

また今私が関わっている、ルマド民族の支援活動についても少し話させてください。先住民族であるルマド民族は、ミンダナオでのNPA(New Peoples Army、新人民軍)と政府との戦いの犠牲になっている民族です。政府はルマドがNPAや、左翼組織の一部だとの疑いでルマドのコミュニティを攻撃したり、逆にNPAはルマドが反革命的な動きをしていると、ルマドの人たちを殺しています。現在 ルマド民族を救うために、Manilakbayan行進キャンペーンというのがミンダナオからマニラまで行われていますが、これはフィリピン共産党/NPA/NDA(民族民主戦線)や、その同盟であるBAYAN、GABRIELA などが戦闘に立って行っているものでした。彼らはルマドの問題を加熱する選挙熱に合わせて政治的利益に結び付けようと利用しているわけです。逆に政治家もこの問題を政治利用しようとしています。
私たちが考えているのは、別の観点に立ったルマドの支援です。「ルマド虐殺を止めろ!自治のために立ち上がれ!左翼政党にも右翼政党にも利用されるな!」をスローガンに支援をしています。

ルマド民族支援のスローガン

ルマド民族支援のスローガン

■このEL ZINEの過去の記事で、フィリピンシーンについての記事があったのですが、そこに、フィリピンでは80年代の終わりにライオット・ガールのムーブメントがあったと書いてありました。これについて何か知っていますか? またフィリピンのシーンにおける、政治的ムーブメントの歴史について教えてください。

そのライオット・ガールのムーブメントについては聞いたことはありますが、詳しくは知りません。
フィリピンのパンクシーンにおける政治的ムーブメントについて説明すると、80年代のパンクシーンは既にポリティカルで、歌詞の内容のほとんどは政府に対するものばかりだったそうです。当時はマルコス独裁政権下で、とても抑圧的でした。
90年代になると少し状況が変わり、西洋のアナキズムやアナーコ・パンクが入ってきて、たくさんのバンドや個人がこの政治的アイデアに興味を持ち、影響を受けました。マニラの C.O.R.、NOT FOR SALE、ALCOHOLOCAUSTというバンドや、ルセナのANTIPHATY、またダバオにもバンドがたくさんいました。これらのバンドは、音楽以外にもFood not Bombsをやったり、Earth FirstやAnimal Liberation Frontなどの活動にもかかわっていました。ベジタリアンやヒッチハイク、DIYのシャツ作りなど、ライフスタイルにも影響を与えました。
21世紀に入って以降は、より政治性を深めて、社会闘争に参加するパンクスも増えてきました。先述のように、採鉱反対、GMO(遺伝子組み換え作物)反対、先住民の支援、公平な気候変動対策、開発反対、警察の暴力への反対など、環境や社会、政治的な様々な問題に取り組んだり、サポートをしたりしています。またマクドナルドに反対したり、無買日(Buy Nothing Day)などのアクションをしているパンクスもいるし、農業やパーマカルチャー、インフォショップや自治スペースの運営など、より長期的なプロジェクトを行っているパンクスもいます。

■フィリピンのパンクスがそういった政治的な行動に関わるのは、どういった動機だと思いますか? あまり気にしないパンクスや、ポリティカルでいることをダサいと思うパンクスもいると思いますが。

なぜパンクスが政治的な行動に参加するのかは、個々人にそれぞれの理由があるだろうから、これといった答えがあるわけではないと思います。私の個人的な理由で言えば、日々の生活に抑圧を感じ、それを味わっていたからです。私の家族は、十分な権利もない下層階級にカテゴライズされていて、そのなかで私は常に、貧困や環境などについてのさまざまな残酷さを見たり読んだり聞いたりしてきました。これが自分のキャパシティで何かやろうという私自身のモチベーションとなっています。他のパンクスの中にも、私と似たような理由で政治的に活発な人もいるかもしれません。
私にとってパンクでいるということは、不平等、不正義を生み出すシステムへの怒りや不満を表現する方法なのです。パンクは私には、単なるサブカルチャーやファッションだけの話ではなく、それはカウンターカルチャーであり、政治的に異を唱えることです。単に社会や政府に反対する曲を作るだけでは、この破壊的なシステムに対抗する姿勢としては十分ではなく、生活に直結する社会政治的な問題に取り組むことが必要なのだと思います。他のパンクスや人たちも、自らの生活が脅かされるようなことが起きれば、そういった社会的政治的問題にもっと目を向けるようになるのかもしれませんね。

■話は変わりますが、第二次世界大戦中、日本軍がフィリピンを占領していた時期に、数々の蛮行を行ったことは周知のことだと思います。一般的に、フィリピンの人々はそれについてどのように思っているでしょうか? また現代において、日本の企業などが「投資」と銘打ってフィリピンで開発を行っていますが、これについてはどういう状況があるでしょうか? 

日本の占領時代を経験した年配の人に聞けば、特に女性は日本軍の行った冷酷な事実を伝えるのではないでしょうか。その時代の女性たちはご存じのように「Comfort Women(慰安婦)」と呼ばれ、性奴隷となり日本軍の兵士にレイプされていました。またそれは女性だけではなく、「Comfort Gay」という、同じ被害を受けた男性もいました。 そのような「Comfort Women」の多くは依然として日本政府に謝罪と補償を求めています。
ただ同じ質問を若い人にすると、彼らの多くは日本に行って仕事をして、家族を支えたいと答えるのではないでしょうか。

現在日本企業が行っていることについては、問題になっている破壊的なプロジェクトをひとつ例に挙げます。
それは「サンロケ多目的ダムプロジェクトと言って、BOT方式(※4)で開発され、サンロケ電力会社に譲渡されました。それは日本の丸紅(42.45%)、アメリカのSITHE(50.05%)、そして日本の関西電力(7.5%)の、100%海外資本による共同事業で行われました。総額11.9億ドル(約1,300億円)のこの破壊的プロジェクトは、日本輸出入銀行(現・国際協力銀行:JBIC)や、その他の民間銀行との共同事業として出資されていました。
このルソン島北部のアグノ川で建設されているサンロケ・ダムは、925以上の家族を強制的に立ち退かせ、土壌の浸食による漁業の破壊のために、下流に住む何万もの人々の生活が影響を受けます。このダムは、2万人のイバロイ(フィリピンの農耕先住民)の人々や、ダムの下流に住む78の町、およそ150万人の人々の生活を脅かすことになるのです。サンロケ・ダムは、人工的な惨禍を、現在、未来に残すことになるでしょう。

■私が日本の友人たちに、フィリピンをツアーしてきた、と伝えると、ほぼ必ず「危なくなかったの?」と言われます。それは残念ながら、フィリピンに対してニッポン人が持つ一般的なイメージのようです。私はツアー中、一度も危険を感じるようなことはなかったですが(常に現地のパンクスといたからかもしれませんが)、このイメージについてどう思いますか?

この「フィリピンは危険だ」というイメージは、主要なメディアによって作られているものではないでしょうか。ただ私の考えでは、一般的な意味での「危険」というのはどこにでもありうることで、それはどのような種類の「危険」を意味するか、ということだと思います。フィリピンのすべての場所が危険だとは言えませんし、またそれは、経済的、文化的、政治的文脈で異なると思います。泥棒やスリなどが「危ない」と言うのなら、マニラのような大都市ではよくあることかもしれませんが、すべての人がそれをするわけではありません。その裏には、不平等や飢餓、仕事や家がないなどの問題があり、それらを経験している何百万という人々がいるわけです。またもしミンダナオ島の一部での外国人の拉致が「危ない」というのなら、なぜその外国人は、複雑な問題がある紛争地帯へわざわざ行くのかと聞きたくなります。もちろんミンダナオのすべてで拉致が起きるわけではありません。個人的には、この島国には、たくさんのいい人たちがいると思いますよ。

■最後に日本のパンクスに一言どうぞ!

インタビューの機会をありがとうございます。このジンで私の考えや経験をシェアできてとても嬉しく思っています。フィリピンと日本のパンクスがもっと交流しあって、関係を深めていけたらいいですね。

Etniko Bandido Infoshop: http://ebinfoshop.surestepintegral.com/
Facebook: https://www.facebook.com/ebinfoshop/
コンタクト: etnikobandido@riseup.net

注:
1. APECO: フィリピン北部のアウロラ州におけるリゾートや貿易港などの開発事業で、そこで生活をいとなんでいる先住民や農家、漁師などが土地を奪われている。
2. ルネタの行商人排除: マニラのルネタ公園における、個人の行商人の排除。行政主導で排除が行われ、貧しい人たち(同公園には行き場を失った多数の野宿者たちが住む)の唯一の生活費獲得手段である行商を禁止し、中には逮捕者も出ている。
3. マハリカン: 「フィリピン」という名前は、16世紀にスペインによって植民地化された際に、当時のスペインのフェリペ皇太子(後のフェリペ2世)にちなんでつけられた名前なので、独立した今その名前を使うのではなく、先祖が使っていたマハリカンを使用する人たち、またその運動。時としてナショナリスティックな運動でもあるらしいが、環境問題においてはクリスたちも一緒に活動を行うことがあるとのこと(議論はしたが、やはりまったく政治的立場が違うらしい。いわゆる「シングル・イシュー」というやつか。ちなみにこの運動には、インド起源のスピリチュアル団体、アナンダ・マルガも関わっているとか)。
4. BOT(Build-Operate-Transfer)方式:PFIの事業(公共施設等の建築、運営などを民間企業が行う事業形態)方式の一つで、民間事業者が自らの資金で対象施設を建設し(Build)、維持管理・運営を行い(Operate)、事業終了後に所有権を公共へ移転する(Transfer)形式のこと。

02. April 2016 by sats
Categories: activism, el zine, interviews, philippines | Tags: , | Leave a comment