エルサレムにて | 焔と煙霧

エルサレムにて

「聖地」エルサレムにやってきた。

今回の旅のどこかで訪れてみようと当初から考えていた土地である。ルートや航空券の関係上、旅の最後に行くことになった。
元々私が惹かれていたのはエルサレムではなかった。かつて興味を持っていたのはイスラエルが現在形で行っている侵略であり、隔離政策である。もちろんパレスチナに対する。それらに関する文献や映画も人並みには読んだり観たりしてきた。特に一時期完全に「ハマって」いた若松孝二の一連の映画にはかなりの影響を受けた。若松孝二主宰の映画館・シネマスコーレに通って様々な映画を観たり、パレスチナ映画祭という企画にも行った記憶がある(重信メイがゲストだったような)。しかしながらそれも時を追うごとに興味も費えていき、ふとした時に思い出す程度になっていた。ただここ数年思っていたのは、パレスチナに対するイスラエルという国家の蛮行よりも、では市井のイスラエル人は実際その行為を横目に日々どのような生活をしているのだろうか、という別の疑問であった。そんなことは訪れただけでわかるものでもないだろうが、その国家に住む人々の生活を見てみたかった。

エルサレムには旧知の友人がいた。8年ほど前に、東京の友人伝いで紹介されたイスラエル人・アダムである。当時名古屋にあった私のアパートに数日滞在していき、怒涛のように去っていった。多くの外国の友人とは大体時間の経過と共に疎遠になるものだが、彼とはその後も2,3年に1回程度だが何とか連絡を保っており、今回エルサレムに行くからと言ったところ「宗教的な生活を見せてあげるよ」と意味深いメールを返してきた。どうやら来日していた時とは彼自身の生活もかなり変わった様子である。8年前、彼から分離壁に対する行動の写真やビデオをもらったり、パレスチナで実際に行われていた出来事について語ってくれたのを思い出した。

ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地であるエルサレム。城壁に囲まれた旧市街の中には各宗教の聖地と呼ばれる嘆きの壁や岩のドーム、聖墳墓教会などがあり、街は宗派ごとに4つに分かれており、狭い路地がマーケットの独特の匂いで充満している北東のムスリム地区とその西側にあるキリスト教地区を、かのイエス・キリストが最後に歩いたとされるヴィア・ドロローサが結んでいる。南西にはアルメニア正教徒地区、南東がユダヤ人地区となっている。

嘆きの壁と岩のドーム

私が訪れた今年の10月初旬は、ちょうどユダヤ教の祭りのひとつであるSukkot(スコット・仮庵の祭り)の最中で、ユダヤ人居住区やユダヤ人のお店の前には仮庵と言って、木材と布、木の枝などで作られた簡易小屋のようなものが作られていた。人々は祭りの間そこで飲み食いをし、人によってはベッドを設けてそこで寝泊りすらするらしい。レストランやカフェなどの仮庵では、客がその中でくつろいでいた。

アダムとその仮庵

エルサレムはユダヤ教の安息日・シャバットが始まる金曜の夕方から土曜の夕方にかけて、町が静まり返る。この間は新市街から旧市街へのヤッフォ通りを走る新型トラムもピタリと止まり、バスも運行しない。ユダヤ系の店もやっていない。シャバットはユダヤ教徒にとてはとても大切な一日で、彼らはその間一切の「労働」をしない。火も使わず料理もせず、電気機器も使わない。アダムとは現地でもメールでやり取りをしていたが、その間はパソコンも見れないからメールのチェックができない、土曜の夜連絡するわ、と言われた。
またそのスコットの最終日に当たる日曜日も毎週の安息日と似たように夕方から店が閉まり、人々は礼拝をし、最後に家族で豪華なディナーを食べる。通常はもちろんユダヤ教徒だけで行うらしいが、この日はアダムの奥さんの家族に私も招かれてそのディナーを共にさせてもらった。真っ黒なウルトラ・オーソドックスの居住区にある一軒家へ向かった。
ユダヤ教式(もちろん教派も色々あるので細かいことは違うのだろうが)に手を洗い、お祈りをした後にパンを振り分けワインを口にし食事がスタートした。食事の間は至って普通である。愉快に会話をしながら自家製フームスやザジキ、魚の白身のトマト煮やサラダ、その後に時間を置いてチキン、果物と豪華な食事であった。食べる行為はどこに行っても同じである。食事の途中に皆で歌を歌いだしたり、様々な話題について議論をする。家族の中の若い女の子がK-POPが好きだと言うのでその話になったりした。敬虔なユダヤ教徒の家庭にはテレビがないらしいのだが、その子はインターネットで極東の音楽を日々発掘しているらしい。議論は、ユダヤ教徒としてのインターネットの是非にまで及んだりするわけである。
奥さんの母親が私に聞いた。
「フクシマの放射能はどうなっているの?」
この旅で何十回と聞かれた質問である。私はその都度、例えば「食べて応援」のまったくのバカさ、それを盲信する人たちについて説明をするが、母親はまったく信じられない様子で現地の子供についてどういう待遇がされているのかをしきりに聞いてきた。

冒頭の話。アダムが現在パレスチナについてどういう思いを持っているか聞いたが、それはここでは書く必要もない。彼がなぜユダヤ教徒になり宗教的な生活を選んだかも教えてもらった。彼の選択は彼の人生である。とやかく言う必要もない。私は彼のその選択を尊敬したい。
彼はユダヤ教徒の生活を色々教えてくれた。とにかく一生懸命勉強すること。子供はたくさん作ること。歌って踊るのが好きなこと。カシュルートのこと。イスラム教との関係のこと・・・。私が次第に興味を失っていったように、ユダヤ教徒としての生活をしている間にパレスチナのことなんて忘れてしまうのかもしないし、自分たちがどうすることもできないことを煩悶しながらも考えないようにしているのかもしれない。その無関心こそが問題を継続させるのも確かであり、宗教が介在することでまた無関心が助長されるのだろうが、その彼らは果たして罪なのだろうかと。であれば、原発の危険な存在を知りながらも3.11まで何もしてこなかった我々もまた罪なのではないかと思ったが、こちらは自滅への道を辿るだけであった。やや違った。

15. October 2012 by sats
Categories: israel, people | Tags: , , , , , | Leave a comment

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