神々のたそがれ

と言うのも、社会とは悪臭放つ一個の沼に過ぎないからだ。
確かに底の水だけは、清く、透明ではあるが、
およそ不潔を極めたもの、有毒なもの、強い臭気を発するものが
絶え間なくその表面に、ぶくぶくと泡立ち浮かび上がって来る!
見るも無残な光景だ! ぼうぼうと乱れ、ひしめき、
打ち伏した黄色い枯草、枯れた葦。朽ち倒れた樹。
ひび割れて緑がかった茸の群れ。八方に枝を交した野茨の藪。
見給え。緑の泥沼の、泡立つ水を。
数知れぬ虫や、蛙や、蛆どもが、うようよとうごめき走り
いとわしい細かな条を水の表面に引いている。
動物の溺れた死骸が、点々と至るところに浮んでいる。
黒ずんだ、ふくれた腹を見せながら。
   - ジェラール・ド・ネルヴァル

神々のたそがれ
Hard to be a God
2013年 ロシア

アレクセイ・ゲルマンの映画は見たこともなく、この映画の完成を待たずに亡くなったことことすら知らなかったが(不勉強)、ストルガツキー兄弟の原作のあらすじを読んでなかなか面白そうだと思い、なんとなく見に行った。
正直なところ、ここまでの泥濘と汚穢、不潔、カメラを興味深そうに覗き込む惑星アルカナルの人々の視線に乗ってスクリーンのこちらがわに漏れ伝わってくるような悪臭、そして知識人は肥溜の中に放り込まれてから首を縊られ、娼婦は木製デカチンコ股間ギロチンのような機械で内臓までバラバラにされる、わけのわからぬ世界の狂熱を3時間にも渡って観ていると、頭がどうにかなって、私は今何を見ているのか、何が起こっているのかを追うことすらできなくなりそうだった。何の説明もないままシーンが移りながら、かろうじて終盤に向けてストーリーはまとまっていくのだが、ただただこの映画の熱に取り付かれたように3時間を過ごしたような気がした。

最近の社会のキーワードになりつつある「反知性主義」の定義は何度考えても実態がつかみにくいのだが、白井聡氏が『日本の反知性主義』で書いていたように、「知性の本質的な意味での働きに対して侮辱的で攻撃的な態度を取る」のが「反知性主義的」であるならば、知識人を肥溜漬けにして縊り焚書を行うこの惑星の人々は正に反知性主義を地で行くような存在である。ゲルマン監督のフィルモグラフィーや生涯を見る限り、この映画はロシア/ソ連へのおもいを含んでいるようだが、この粗暴で不潔な世界というのは、監督にその意図があったかどうかは知らないが、かつて地球上の人間が経験してきたことの繰り返しであると同時に、またいつその時代が来るかもしれない、未来の出来事でもあるように思える。これだけ「綺麗」な社会に住んでいるのに何をバカなことを、と思うかもしれないが、冒頭のネルヴァルにあるように、透明な部分の裏には常に「不潔を極めた」ものが存在し、それがいつまた蔓延するともわからない。そういった不穏さを今の社会は含み、またそれがじわじわと染み出していることも確かだ。

ちなみにこの原作、1989年に一度映画化されているようで(邦題は『惑星アルカナル 宇宙からの使者』)、youtubeに上がっていたのをチラっと見たところ、ヘリコプターが登場したり、地球からモニタリングしているシーンがあったのでこちらはよりSF的で、原作に忠実なのかと(但しストルガツキー兄弟は酷評したとか)。こちらを見てもう一度『神々のたそがれ』を見たら、『神々』で説明されていない箇所等の理解は深まるのかもしれないが、家のDVDで3時間見続けられるようなシロモノでもないので、やはりこういった作品は映画館で「浸る」のが一番よい。

ユーロスペースにて。

12. 4月 2015 by sats
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