本の感想文 2016-4

  • Carsick /John Waters (FSG)
  • 今年1月にサンフランシスコに行ったときに、Iron Lungのジョンに連れてってもらった24th St.の本屋で、ハードカバーがセールの山積みだった(ゾッキ本? 本底にマジック印あり)ので買って、以降なるべく読むようにしていたんだけど、やっぱり英語の本は読むのが億劫になるのね、読了までずいぶん時間がかかった。
    ジョン・ウォーターズ(当時68歳?)がアメリカをヒッチハイクで横断!という、それだけでハチャメチャな企画を自らレポートした本。実際のヒッチハイクの話に入る前に、ウォーターズによるフィクションの”Best”と”Worst”の話があって、そのあとに実際のヒッチハイクをした話、という順番で載っている。”Best”は例えば、ジョン・ウォーターズ映画の常連・エディス・マッセイが実は生きてて、イリノイの小汚いコンビニで中古品を売る商売をやってた! なんていういい話もあってウルっとするが、基本的には次々と愉快で破天荒な人たちに拾われて、アメリカのバンドのツアー中にでも起きそうなめちゃくちゃな体験をしながら(エイリアンに犯されてのAss magicとかはメチャクチャの域を越えてるが)、サンフランシスコにちゃんと着く(ラストはナイフ売りの美男子)。”Worst”はその逆方向にただもう最悪なことの連続で、アメリカの先鋭でプログレッシブな人々(例えば出てくるのはGarbage diversity=ゴミ差別反対のオッサンとか、凄まじいアニマルレスキューとか、土と小便を摂ることを強制してくる狂ったVeganの人とか)をちょっとおちょくりながら、最後にはカルト映画が嫌いなカルト映画監督専門のシリアルキラーに自分が殺される、っていうオチで、やっぱこの人の笑いは最悪な方向に向かうと手加減されないなと感心する。
    ただそのフィクションのハチャメチャさを読んだ後に、”Real(実際のヒッチハイク)”を読むと、Realでウォーターズを拾ってくれるのはみんな「いい人」ばかりで、もちろんフィクションで書かれたようなことは何も起きない。ただジョン・ウォーターズが炎天下、長い時間ひたすら待って、彼の事務所で心配する人たちにメールしたり調べ物をしてもらったりして、ようやく誰か気のいい人に拾われて、Here We Go Magicなんていうツアー中のバンドにも拾われたりして、で彼がヒッチハイクをしていることがSNSに載って、それをゴシップウェブサイトが取り上げて全米に拡散して、というとても現代的なことが起きて、ウォーターズはホテルの朝食のブッフェに文句を言って、Corvette Kidという共和党支持者の若者が、お母さんの車でお母さんを心配させながら、コロラドまで再びやってきて、という純粋さに助けられながら、ゴールするだけだ。正直そんなに面白くない。ジョン・ウォーターズにかかると、「事実は小説より奇なり」とはならない。まあ当然か。

    特にフィクションの方に、実在の人物やら歌手やら芸能人やら何やらが頻繁に登場するが、私はアメリカに住んだこともないので、よほど有名な俳優や歌手でもない限り、誰がどんな人なのかはわからない。これは海外のコメディ映画を見るときと同じで、ジョークの背景をよく知らないと、ギャグというのは十分に通じない。これは例えば『トラック野郎 望郷一番星』の冒頭に松鶴家千とせが出てきて、「わかるかな?わかんねえだろうな?」と言ったところで、それを初めて見る外国人(もしくはそれを知らない若者でもいいのか)が笑えるとも思えないのと一緒だ。で、読んでて知らない人物が出てきて、でも毎回akに聞くわけにもいかないけど、akからその人やジョークを解説してもらったりググったりして、ああなるほど!となるわけだ。これが多ければ多いほどこの本はおもしろいに決まってるが、それはやはりその地で生活するなりして、その背景をちゃんと知っておかないとムリな話なんだよなあ…。
    あと大体どのフィクションのエピソードにも、都合よくラジオから流れる曲があって(巻末に曲のリストあり)、案の定youtubeにそのプレイリストがあった。その中で聞いてておもしろかったのが、”Tofurky Song”。これは前にVegan Extremeでもお話ししたが、アメリカの健康食品店とかスーパーによく売ってるベジタリアン用の七面鳥フェイクミートだが、ポップな歌な分だけバカに聞こえて楽しい。

     

  • TOEIC TEST 全パート完全攻略! /赤井田拓弥、Jeffrey M. Bruce(あさ出版)
  • アレをアレするためにTOEICを受ける必要が出てきたので、約5年ぶりに受験の応募をした。今年の5月からテストの形式が変わったと言うが、そのために一生懸命勉強する気はないにしても、何もせずに受験するのももったいないので、新形式について説明のある適当な参考書を本屋で1つ買ったのがこの本だった。
    新形式は、要は問題を解くのに前以上の時間が必要で、一番厄介な、最後のメールや説明書きなどを読んで答える問題が増えて、しかも参照するモノが最大3つと、嫌がらせ度が増した、ということのよう。で一通りこの参考書をやってみると、相変わらずのひっかけ問題が多くてそれだけでウンザリする。早合点で答えたら半分くらいしか合ってなかったパートもあったな…。
    まあTOEICなんか受けなくても英語が喋れる人はたくさんいるし、まあそもそも会話のテストがないので、あくまで聞いて読む力しか判断できないテストなのだが(最近は別に”Speaking & Writing”ってのもあるようだが)、英語が関係する職への就職には、今でも異様なまでにこの点数が重視されてるようでもある。まあ参考書なんてどれも大差ないだろうし、よくブログが出てくるような満点目指すような暇な人は、それに特化した勉強を日夜やってるんだろう。準備をすればするだけ高得点が取れる類のテストだし(彼らの「裏技」は参考になるけど)。
    さて、実際にテストを受けて気になったのは、7月の暑い日なのに、最寄駅から受験会場までが遠すぎる! 徒歩で15分近くかかった。 簡単に熱中症になるという厄介なクセのある私は、会場にたどり着くまでに一苦労で、これは夏に受けるもんじゃないなと会場に着いてすぐ後悔した。テストもその新形式だからなのかわからないが、とにかく長い。終わらないPart 7。すべてを解き切って残った時間は、たったの2分。前はもっと余裕あったような。見直しなんかする暇もなく、あっという間の2時間だった。ちなみに結果が早速届いて、今回は・・・900点は越えました。

  • 日本人の英語はなぜ間違うのか(集英社インターナショナル)
    日本人の英語/続 日本人の英語(岩波新書)
    /マーク・ピーターセン
  • 上記TOEICの参考書とあわせてではないが、仮定法とか冠詞とか、英語を使うにあたって何かと忘れがちな、細かい部分を思い出すのによく読んでいる(=トイレ用)マーク・ピーターセンの諸作を、テスト前におさらい。この人の皮肉(教授なので学生や研究者に対してのものが多いが)がなかなか面白くて、それはどうやら日本の英語教育(先の仮定法なら、高校1年まで習わないので、それまでは意味不明な文法で仮定法を回避しなければいけない、など)に向けて書かれていて、なるほど、やっぱり教育というのは盲信するとロクなことがないなあとも思えてしまう。「読めるけどしゃべれない」というのがニッポンの英語教育のせい、というのはよく聞く話だし、教科書なんて話半分にして、この人の本を読んでた方がよっぽど身に付きそう。
    思えば私も学生のころ、よりエクストリームで変なバンドを探すべく海外のバンドやレーベルとやりとりを始めて、音源やジンなどを購入したり、ディストロ用仕入れをしていたが、そのころ使っていた英語のことを思い出すと恥ずかしいなあ……。”the”の多用とか…。そのころにはマークさんの本は既に世にあったわけで、「名詞に冠詞がつくのではなく、冠詞に名詞がつく」とか意識してたら、もうちょっとマトモな英語が書けてただろうに。まあ通じててちゃんとモノは届いてたからいいんだけど。
    ちなみに非英語圏のそういう「間違った英語」のことを、揶揄しながら「Engrish」と言うが、まあ私も未だに時々、clubと言ってるのに「食べるの?(=crabね)」と間違えられるので、正にEngrish speakerなわけで文句を言う資格もないだろうが、↓のようなビデオは単純におもしろいね。今や日本語使える英語圏の人はいくらでもいるので、こうやって指摘してもらうのはいいことだけど、こういうネイティブ話者では発想不可能な英語の使い方というのもまたアジがあるので、誤用にひるまずに他言語を使うことが一番大切なんだろう(適当)。

  • トラック野郎 雪の下北・はぐれ鳥(準備稿)/澤井信一郎
  • 弟が買ったトラック野郎ブルーレイBOXについてきてた幻の脚本を先日かっぱらってきた。今回の舞台は下北半島、ドサ回りの役者集団の女性、沢村千波がマドンナ。おもしろいのは、桃次郎がテレビに出た、という冒頭のシーンでの映画内映画と、その経験から劇団に抜擢されての演技や、通信販売での「一週間であなたもスターに」とか、あとはジョナサンの警察時代の元ボス、つまり君江の親父である小田原庄助が出てくる。ライバルはこの親父がかつて唯一上げた「手柄」の男・白戸で、殺人をおかしたその男がムショにいるあいだずっと待ってた、『度胸一番星』の夏樹陽子のような女・しのぶも出てきて、フラレたしのぶは、桃さんで紛らわそうとして桃さんとヤリそうになる(笑)。桃さんはマドンナにまたフラれて(マドンナが選んだのは同じ劇団の男)、次の公演先への足がなくて困ってる一座を送り届ける、と。
    配役は、白戸が渡瀬恒彦(そういや1回も出てないな)がよさそうで、千波は誰だろう。ドサ回りの役者といえば、『旅の重さ』に出てきた横山リエを思い出すが、トラック野郎って感じのキャラじゃないもんなあ。
    最近youtubeで見つけた、菅原文太が亡くなった時のワイドショー。各テレビ局はこういう映像まだあるんだろうから、もっと流してほしいなあ。

    https://www.youtube.com/watch?v=xQMmhnwxGbE&spfreload=1

  • サッカーと愛国 /清義明 (イースト・プレス)
  • 2012年にヨーロッパあたりを旅行していたとき、6月中旬くらいからギリシャ中部のヴォロスのスクワットに泊まっていた。そこで一緒に遊んでいた男で、Tというトルコとフィンランドのハーフで、ヴィーガン・ストレートエッジでゴリゴリのアナキストの旅行者がいた。彼とはヴォロスにいる間、毎日エーゲ海を泳いだり(って書くとなんだかとてもオシャレに聞こえるな)、公園でひたすらヒマワリの種(欧米アナキストがよくやるように、Tがスーパーで盗んできた)を食べながらあれこれと話したり、当時彼はヴォロスにギリシャ人の恋人がいたので、3人でメシ食ったり、まあダラダラと暑いギリシャの夏を一緒に過ごした。Tは以降、一連のトルコの情報を逐一教えてくれたり、次号EL ZINEでインタビューを載せる予定のイスタンブールのアナキスト・コレクティブを紹介してくれたりと、私のそのへんの情報元になっているありがたい奴だ。Tはサッカーと旅行と読書が好きなマジメな奴で、彼の贔屓のチームはFCザンクトパウリ。そう、毎日あのドクロのTシャツを着ていた。私は特別サッカーのファンでもなんでもなかったのだが(中高とサッカー部だったが…)、一緒に遊んでいたときにTからそのへんのヨーロッパのサッカーとアンチファの関連を教えてもらったりして、ああこれはおもしろいなと思い、それ以降は以前よりは国内外のサッカーの動向を追うようになった。特にニッポン国内、Jリーグとアンチファなんて、まるでそんな意識ないだろうと思っていたが、例の浦和レッズの「Japanese Only」事件やら、マリノスのバナナ事件やら、ここ最近の日本の差別思想がJリーグにもにじみ出たかのような事件もあって、日本にもアンチファ・フーリガンみたいなのがいるのだろうかと気にもなっていた。
    そこで読んだのがこの本なのだが、そもそもこの本の著者を知ったのは、去年の例のThe Oppressed来日キャンセルの記事を、著者のブログで読んだことからだった。
    もちろんサッカーを中心に社会問題などについても書かれているライターの方なので、その両方を扱ったこの本はさすがにちゃんとしてるというか、例えば先述の「Japanese Only」の一件は、「嫌韓」とは別に、日本サッカーの中に元々あった韓国へのライバル意識を土台にした、浦和レッズが特に持つ「アンチ韓国」の歴史が裏にあることとかは、にわかファンの私は知るわけもなく、なるほどなあと。ネットから溢れ出たレイシズムが、一般社会にもその姿を現した一連の排外主義デモのように、サッカーの場にもそれが登場、しかも右傾化の源流とされる2002年の日韓ワールドカップが正にサッカーそのものであるから、余計にその影響も出やすい、目に見えやすいというものだろう。
    この本でおそらく一番興味を引くのは、李忠成の父へのインタビューの部分。李の曽祖父は100年前に、朝鮮半島が日本の植民地になってすぐに大邱から日本にやってきて、その息子の李の祖父は、学徒出陣で兵隊になった特攻崩れ。その祖父について、李の父がこう語っている:

    「日本人として教育を受けてきたから韓国語はしゃべれない。(中略)戦争に負けたからいきなり日本人から『外国人』になっちゃった。外国人だから弁護士にもなれない。親父からしてみれば非情な敗戦ですよ。ただでさえ『天皇陛下万歳』で死のうとしていたのにさ。」(P.176)

    李は韓国籍を経て最終的に日本籍を選び、父親は韓国籍、この祖父は朝鮮籍で、一家全員パスポートが違うのだ。

    「なんで在日が日本にいるんだって人もいるだろうけど、社会とイデオロギーに翻弄されている歴史をわかってほしいよね。そうやって翻弄されながら生きていることは、人間の弱さなのかもしれないし、強さかもしれない」(同P.177)

    その他冒頭のトルコ/フィンランドの友人Tが支持してるFCザンクトパウリの詳細な説明にも章がさかれている。ハンブルクのスクワッターからあのドクロマークが始まった、というのが何ともチームのその後を暗示してるが、オルタナティブな人たちが支持するプロのサッカーチームが、ドイツの1部リーグ(今は2部か、あの宮市亮がいるとは知らなかった)で普通に戦ってるというのは、なかなかJリーグでは想像できない(たぶんこの先もありえないだろうが)。
    ちなみにTはサッカーのクラブチームが好きなだけで、各国の代表戦はまったく見ないという筋金入り。国同士が争うのは見たくもない、という理由だ。土地とチームが好きなだけで、それを無理矢理まとめるナショナルチームなんかくそくらえ、とか、理由は様々あるようだが、この本にもそういう人たちが登場する(国内なら、渋谷交差点の「ハイタッチ・フーリガン」を否定するJリーグクラブのサポーターたちの感覚は至極真っ当というわけだ)。ヴォロスにいたときにちょうどEURO 2012がやっていて、準々決勝の1つがギリシャvsドイツというカードだった。グレッグという地元の友人はナショナルサッカーも見る人だったので、一緒にバーに見に行ったのだが、折りしもギリシャは経済破綻の真っ只中、それに対してドイツのメルケルが緊縮策をギリシャの人たちに強いてくる、という状況だったため、もうバーはドイツがボールを持ったらブーイングの嵐。メルケルも試合を見に来ていたようで、一度メルケルがスクリーンに映し出されたときにはブーイングだけでなく爆竹まで鳴っていた(笑)。過激だなあと思いながらもそれなりに楽しかったのだが(試合はギリシャの負け)、Tはもちろん見に来なかった。
    ギリシャのサッカーついでに、アテネで見たアンチファ・イベントのことも思い出しておこう。アテネにいたある日、アナキスト密集地域エクサヒア(そういえば最近のアテネのアナキストは、ネオナチ政党「黄金の夜明け」とだけじゃなくて、地元ギャングとの間でも抗争してるそう…)の近くにあるStrefi Hillという小山でアンチファ関連のイベントがあって、ハードコア・パンクのライブもやるというので、泊まらせてもらっていたスクワットの連中と一緒に行ってみた(ギリシャのメタルクラスト・Hibernationのメンバーもいた)。夕方からバスケ、フットサルをやって、夜(と言っても23時とかにスタート)はライブ、という2部構成の長期戦。終わったのは深夜4時だったか…。EL ZINEの12号にこの辺のことを書いたので読み返してみたが(過去の記事にも書いてあった)、ライブはアテネの古参スクワット、Villa Amaliasがネオナチに襲撃されて破壊されたので、その修復をというベネフィットライブだった。Dirty Wombsというバンドなどが出ていた。このフットサルをやっていた時に聞いた話だが、ギリシャには古くからアンチファのサッカー(ヨーロッパなのでフットボールか)チームがたくさんあって、こうやってアンチファ同士が交流する機会をもったり、パンクスと一緒に何か行動をしたりするらしい。これも前にEL ZINEに載せてもらったインタビューだが、ギリシャのパンクス3人にインタビューしたときに言っていたように、ギリシャのパンクス、アナキストたちは群を抜いて過激で行動的で、それは何も最近始まったわけではない。先に登場したグレッグのそのインタビューからの言を引用すると:

    (それらギリシャパンクス、アナキストたちの過激さについて)「それはギリシャの政治状況がそうさせてきたからだと思う。1946年から1949年までは内戦があり、共産主義者と、イギリス政府の後ろ盾を得た右派政府と第二次世界大戦下でのナチス信奉者たちが戦った(ギリシャはナチ占領時代から左派レジスタンスの動きがあった)。その内戦で共産主義勢力が負けてから、彼らは大変な生活を送るはめになったんだ。もちろん今でも左対右の憎みあいは残ってるけどね。その後1967年~1974年には軍事独裁があって、その軍事政権崩壊後に左派の強力なムーブメントがあったんだ。同時に右派テロリストグループも活動を開始したけどね。
    その後しばらくして、1981年に社会主義政権が登場するのと同時にギリシャにパンクムーブメントが起きたよ。それと一緒に、アナキストムーブメントも爆発的に起こった」「ギリシャその後 -ギリシャの3人のパンクスへのインタビュー-」(2013年4月)より<

    というわけだ。なのでおそらく、ギリシャのアンチファのフットボール・サポーターたちも、パンクスがパンクに自由を求めたように、サッカーにそれを求め、この時期に増えていったのではないだろうか(中には19世紀から続くアンチファ・フットボール・チームというのもあると言っていたが…)。もちろんパンクスがそういうアンチファを共通項に、サッカーに近づいていくって動きもあるだろうし、そのへんはFCザンクトパウリのサポーターのようにオーバーラップしてるんだろう。

    というわけで非常に勉強になったのと、ギリシャのことを思い出したこの本。他にサッカーに関する本だと、そもそも世界のサッカーなんてのは、金と権力にまみれたもの、それでも人々は命をかけて熱狂する、ということを知った『サッカーの敵』(サイモン・クーパー著 白水社)や、この本の帯にコメントを書いてる木村元彦の「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記」(集英社文庫)が、90年代のセルビアの状況をきちんと文章にしていて好きだが、こういうナショナリズムとサッカー、ナショナリズムとスポーツというのは、ちょうどオリンピックもあと4年で嫌でもやってきてしまうわけだし(裏金疑惑はどこへ行った?)、もう少し気にしていないといけないんだろうなと、ブラジルにマリオの格好をして土管から現れたニッポンのシュショーを見て空恐ろしくなりながら思った。

以上。まとめて書くと時間がかかるな。やっぱり読んだ直後に個別に書いた方がいいんだろうか。ただ単なる本の感想文ブログになってしまってもなあ…。

24. August 2016 by sats
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