本の感想文 2016-3

この間読んだものなど。

  • トレイシー・ローズ 15歳の少女が、いかにして一夜のうちにポルノスターになったのか / トレイシー・ローズ 野澤敦子訳(WAVE出版)
  • ジョン・ウォーターズの「Carsick」を読み始めて以来(ようやくもうすぐ読了…)、ここ何か月か「ジョン・ウォーターズ強化期間」を勝手にやっていて、今まで見たものも初見のものもあわせて、ジョン・ウォーターズの映画を見れるだけ見ていた。やっぱり『ヘアスプレー』は最高の反差別映画だし、『フィメール・トラブル』や『シリアル・ママ』は何度見てもメチャクチャで楽しい。そんな中で、『クライ・ベイビー』でとてもキュートな不良少女を演じているトレイシー・ローズのことがいまさら気になって、ググっているうちに自伝の邦訳が出てることを知って、読んでみた。
    「壮絶」なんて言葉で彼女の半生をまとめるわけにもいかないが、10歳で当時の彼氏(16歳)にレイプされて、15歳で妊娠し、義父から性的虐待&ダマされてヌード雑誌、ポルノの世界へ。やりたくもないポルノをドラッグで覆い隠す日を過ごし、18で年齢詐称がバレてポルノ業界から追放、訴追、脅迫、検察からも徹底的な嫌がらせ…。
    それでも他人を責めず、自分の責任だと前を向くトレイシーはなんともピュアというかマジメというか、若気の至りの上に身近な人に騙されて、あれよあれよとそうなってしまっただけで、とても「ポルノクイーン」なんてタマじゃない。でもそんな自分のおもいとは裏腹に、世間は彼女をいつまでも伝説のポルノクイーンと呼び(この訳本のサブタイトルにも思いっきり書いてある)、トレイシーをいつまでもそこから抜け出させてくれない。それでも腹を決めて、自分がやったことだからとそこから逃げずに、次々といろいろなチャレンジをしていく彼女はかっこいい。
    まあ本のあらすじはいいか。そう、先述のように、『クライ・ベイビー』のトレイシー・ローズはなんとも愛らしいキャラで、あの画像(”Beat it creep”のやつ)がどこからともなくよく出てくるが、そんな『クライ・ベイビー』の記者発表で、メディアにまた過去のことを聞かれるのにビクビクしてたトレイシーに、ジョン・ウォーターズが「ハニー、生きている限り、君はこの質問に答えていかなければならないんだよ」(p283)と声をかけ、そこでトレイシーも吹っ切れるシーンは感涙モノ。ジョニー・デップとの話(ジョン・ウォーターズに『ファスター・プッシーキャット キル!キル!』のビデオを見るように言われて、VHS再生機のあるジョニー・デップの部屋に行くエピソード)や、MTV授賞式でのガンズ・アンド・ローゼスやスラッシュとの話も素敵です。
    この自伝、中学校くらいの道徳か何かの授業で使ったらいろいろタメになるんじゃないだろうか。そこらの手垢まみれの美談なんかよりよほど説得力がある。もちろん自民党が推し進めようとしてる道徳による「思想統制」なんかより100万倍マシだろう。ただ同時に、「カリフォルニアの中学生は、マリファナとビールはあたりまえ」みたいな先入観も持っちゃうんだろうけど。

    1995年にはこんなテクノの音源も出していたとは知らず。プロデュースはジュノ・リアクター。

  • ブラック・メタルの血塗られた歴史 / マイケル・モイニハン、ディードリック・ソーデリンド著、島田陽子訳(メディア総合研究所)
  • 今更感満載の1冊ですが、おととしだったか、神保町の古本まつりで新品が1000円(自由価格本?)で売っていたので買ったのだった。やっぱり売れてないのかな…。
    アンダーグラウンドのメタルシーンに興味があれば、伝聞なのかネット情報なのかわからないが、みんなだいたいのことは知っている、1990年代初頭のノルウェー・ブラックメタルの数々の事件を追った本書。Burzmは教会を燃やし、Mayhemのギターを殺したとか、Emperorのドラムは同性愛者を殺したとか、そういうことについてだ。ただ検索してみたら、このアメリカ人著者は、ネオフォークのBlood Axisをやっているとな。こりゃニュートラルというよりは、どちらかといえば、そのカルチャーを自分がやってることの下敷きにしたい、内包したいという目論見があったのではないかと勘ぐってしまう。
    さて、この著者はブラックメタルという文化を単純に「リスペクト」しているというわけでもなさそうで、一連のノルウェーの「ブラック・サークル」での教会放火や墓暴き、殺人などは、その「勝手連」的なコミュニティ内で、言ってしまえば「一番過激なことをやったらスゲー」みたいな、若気の至りが、度を越してしまっただけ、というようにも書かれている。まあそれはこの場合ある種健全な分析なのかもしれず、ヘタにブラックメタルを持ち上げることもせずに、その背景にあるヨーロッパのキリスト教支配や、それに対するアンチテーゼとしての北欧神話やオーディン信仰などの解説とあわせて、メディアとブラックメタル・サークルとの「共犯関係」まで言及する。1980年代後半から90年代初頭にかけて、ノルウェーのメディアが米英のサタニズムについて、子供を生贄にしているだとかあることないこと書き連ねて、センセーショナルに報道した。そのとばっちりを受けたのが、本の中でもインタビューがされている、アレイスター・クロウリー影響下の「東洋テンプル騎士団」ノルウェー支部を開設したシーメン・ミドガールという人物であったりして(この人物は、このブラックメタラーたちのサタニズムを「キリスト教の一派」としてスパっと切り捨てている)、そのメディアの報道や記事を読んだ若きブラックメタラーたちが、真に受けて、感化されて行動に移し、それをまたメディアがセンセーショナルに取り上げて、Burzmのヴァーグ・ヴァイカーネスのような人物はますますつけあがって、シーン内での権力闘争のために、ユーロニモスすら殺してしまったのだというわけである。決定的な報道として2つあげられるのが、ヴァーグの地元ベルゲンの大手新聞「Bergens Tidende」の1993年1月の記事と、それをふまえて書かれたメタル雑誌「Kerrang」436号(1993.3.27発売)のノルウェー・ブラックメタル特集。要点はこんなところだろう。その後のヴァーグの思想の変化(チープなサタニズムから異教信仰)や、東ドイツのAbsurdのメンバーが起こした「いじめ殺人」にもページはたくさん割かれている。

    90年代初めのブラックメタル黎明期の主要人物にもインタビューされているが、その中でおもしろい回答をしているのがUlverのメンバー。今やUlverは、アンビエントっぽい音楽で、オーケストラを率いてライブをやったりしてる立派なミュージシャンだが、当時のドラムのエリックはこんなことを言っている:

    「(略)ブラック・メタルのもとはヴェノムだろ。みっともない飲んだくれ、ヘヴィー・メタルの愚かさの象徴みたいな奴らだ。(中略)俺たちのオーディエンスを見てみろよ。ブラック・メタルの平均的購買層ってのは、典型的な負け犬だ。子供のときにはいじめられ、学校の成績も悪くて、生活保護で暮らしてるような、そういう何の役にも立たない奴らさ。自分らを拒絶した社会に反抗して結束したのけ者同士、特別な仲間を作った気になって、それで自分の劣等感やらアイデンティティの欠如を埋め合わせようとしてるんだ」(P.270)

    なかなかひどい言い草だが、Ulverのフロントマンのガームも「ブラック・メタルの人間には、まるで間違った、狭い人生観しか持っていない奴が多いからさ」とか「残念ながら今このシーンの中心にいる奴らのほとんどはアル中の体制順応派の負け犬だ」などと似たようなことを言ってるので、Ulverは教会放火や墓暴きのような「くだらない」ことには早々に見切りをつけて、自分たちの音楽をどんどん進化させていったことがよくわかる。
    ちなみにMayhemのドラムのヘルハマーは、20年以上前のインタビューになるが、「俺たちはこの国に黒人がいることが気に入らない。ブラック・メタルは白人のためのものだ」とかなりイケイケなことを言っている。

    まあ今やパンクスがブラック・メタルを聞くのは珍しくもなんともなく、「ブラッケンド・ハードコア」なる言葉もたまに聞くが、ただ星の数ほどあるバンドの中で、「あのバンドはちょっとNS(国家社会主義)っぽいからダメ」みたいな線引きは、どこでどうなされてるのだろうと疑問にも思う。理由(言い訳?)のひとつとして、「音楽だけ好き、思想は嫌い」というのもよく聞く。前に友人から聞いた話だと、ギリシャのあるスクワットでのライブの物販で、メタルの音源を売っているだけで追い出されたことがあるそうだ。ギリシャのパンクスみたいな超ラディカルさだと、メタルってだけで排除するPCパンク原理主義なのかもしれず、これは国や文化ごとに「線」が全然違いそう(ギリシャにはメタリックなハードコアパンクバンドが多いのが皮肉だが)。今やオカルト意匠はブラック・メタル、ドゥーム・メタルとかだけじゃなく、パンクスでもそれをうたう人やバンドを見かけるが、このへんの線引きの微妙さも面白そう。「クールだからok」という返事が聞こえそうだが、クールは万人と共有できるものでもない。だからやったもの勝ち、割り切ったもの勝ちという部分もあるのだろうけど。

    ちなみにこの本の著者のバンド、Blood Axisがアメリカ国内でライブをやろうとしたら、地元のアンティファに抵抗されてライブがキャンセルになったとか、Death in Juneのツアーをやめさせるアンティファ・アクションだとかは各地であるみたい。詳しくは調べてないけど、ネオフォークやペイガン、ブラックメタルなどのジャンル全体を否定する気はないが、ナチイメージを使ったわりと有名なバンドで、特にそのライブがナショナリストの集会と化す場合はアクションを行ってるそう。線引き、線引き、まあ似たような話はニッポン国内でもあるか。

    そういえばこの”Lords of Chaos”、かつて園子温がハリウッドで映画化するとかいう話があって、ただただ暴力的で、妙な青春モノにならなければいいがと危惧したことがあったが、あれはポシャったとどこかで見かけた。どうなったのだろうとググってみたら、スウェーデン人のJonas Åkerlundという人が、リドリー、トニーのスコット兄弟の会社”Scott Free”の製作で映画化するとIMDBに書いてあった。この監督はマドンナからローリング・ストーンズからメタリカから、さまざまな有名人のミュージックビデオを撮ってる人らしいが、なんと最初期のBathoryのドラムだった人だそうで。スウェーデン人が撮るからなのか(スウェーデンとノルウェー人はお互いの国をよくバカにしあってるというイメージ…)、MayhemのベースのNecrobutcherが映画化に反対してる、という2015年5月の記事も見かけたが、もう撮影は終わったのかな。
    このJonasさんの初ビデオ作品は、あのマジメだかフマジメだかよくわからないCandlemassのBewitchedの有名なビデオ。貼っておきます。後半のみんなでストンプ場面が愉快。

  • 映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件 / 伊藤彰彦 (講談社α文庫)
  • ブラックメタルが長くなってしまったので簡潔に。1977年の東映の映画『北陸代理戦争』の公開2か月後に、映画と同じ状況で、モデルとなったやくざの組長が実際に殺された「三国事件」をひもといていくノンフィクションの文庫化増補版。
    これは本当におもしろくて一気に読める。当時の「活動屋」とやくざのリンク、相互作用が、この映画で、1977年というタイミングで一線を超えてしまって、現実が映画を踏襲するなんてことが起きるのかと。当時を追いかける過程は、笠原和夫を超えたかったという高田宏治の物語でもあるのだが、この人の執念というか情念が、結果的に東映の実録ものに終止符を打ってしまい、このあと深作欣二は二度とやくざ映画を撮らず、時代は1本立て大作志向へと進むわけだ。
    話は全然変わるが、「クールジャパン」とか言って日本のポップカルチャーを海外へ売り出そう、みたいな国の動きがあるが、海外の人が日本に求めているカルチャーってのは、この時代のやくざ映画やスケバン映画なんじゃないのか? 刺青もそう。日本に来るバンドの人たちでも、70年代東映好きの人とか(でも「トラック野郎」が好きという人には会ったことがないが…)、和彫りが好きで好きで、という人もたくさんいる。そこにある需要をちゃんとくみ取れば、「クールジャパン」なんてのはわざわざぱみゅぱみゅみたいなのを送り出さなくても、既存のもので十分に売り出すものがあると思うんだけどなあ。もったいない。まあ国が暴力団排除条例なんてものを掲げてやくざ殲滅に躍起になってる今、やくざ映画を海外に売り込むことはもうできないんだろうけど。日本の映画でつまらないのが多くなったのも、この本に描かれるような「活動屋」とやくざの相互作用がなくなってしまったからなのだろうかとも勘ぐりたくなってしまう。見世物である映画の興行とやくざとは切っても切れない縁があるだろうに、それを臭いものにフタで無理矢理封じ込めようという魂胆が気に入らない。ああやだやだ。やくざ映画がもっと見たい。

  • ウィスキー&ジョーキンズ ダンセイニの幻想法螺話 / ロード・ダンセイニ、中野善夫訳 (国書刊行会)
  • いわゆる「英国怪奇小説の巨匠」の中では、個人的にはあまりピンとこないダンセイニ卿。以前読もうとしたけど、ページがなかなか進まずに途中放棄したせいなのか…。ただこのジョーキンズの話は、タイトルで法螺話と言っていることもあり、読んでてもどこか気楽。眠たくなるような小話もあるけど(ジョーキンズよろしくウイスキー&ソーダをあおりながら読んだらそのままぐっすり寝れるのかも)、きつい半ズボンを履いたサテュロスが立派に下男を務める「リルズウッドの森の開発」とか、名言「面白くない冗談は笑った方がいい。面白い冗談は放っておいても相手にしてもらえるのだから」が出てくる「オジマンディアス」(エチケットのせいで食い扶持を失うなんて)も面白い。キルケのような女に虜になってしまう若者の話、「奇妙な島」は、地中海を船で旅しているようでわくわくしてくる。そう、この小話集を読むと、なぜだかわからないが、そこらのあまたある旅行ガイドブックの類の本なんかより、よほど旅の意欲が刺激される。魔女の森に迷ってみたいし、弧を描く蝸牛にも会ってみたい。旅それ自体が法螺話の連続のようなものだ。またどこか行きたくなる。そして「ペガーナの神々」に再トライだ。

26. June 2016 by sats
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