本の感想文 2016-2 | 焔と煙霧

本の感想文 2016-2

また時間が空いてしまった…。
この間読んだものなど。

  • 12人の蒐集家 /ゾラン・ジヴコヴィッチ、山田順子訳(東京創元社)
  • 帯に「東欧のボルヘス」とある、セルビアのジヴコヴィッチの旧訳作品含む新刊。
    英訳からの重訳ということでちょっと損した気分だが、どちらの話もよくできていて創作文芸のお手本みたい。毎回何かの蒐集家が突然現れて、それらを渡すかどうか有無を言わさず決断を迫ってくる、というのが12個続く連作集の「12人の蒐集家」。その中の「小説」という章が特によくできていて、その作家の「最後の作品」の蒐集家がパソコン上に現れて、「書かずに長らえるか、書いて死ぬか、どちらか」の選択を迫ってくる。不条理、という一言で片付けるには妙に現実味のある筆致。
    「ティーショップ」は、ジヴコヴィッチの初邦訳『不思議な世界』に入っていたものの再録っぽいが、なんとも愛のある話。ベオグラードの駅にクラークは確かにあったし、カフェもその辺に何件かあった気がする。ということで、この話はおそらくベオグラードの駅前での話なのだろう。
    セルビアといえば、7月に北部のノヴィサドで、こんなノイズコアのフェスティバルがあるそうで、去年El Zineにインタビュー(このページ)を載せてもらった友人のヤニスも関わってるみたい。日本のバンドも出るし(Spacegrinder!!)、マケドニアのイヴァンが新しくやってるバンド・Goli Decaも出る、楽しそうだな行きたいなあ。
    nov

  • 字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記 太田直子(岩波書店)
    字幕屋に「、」はない 太田直子 (イカロス出版)
  • 「時間のある2016年」シリーズの一環として、現在ある映画の字幕翻訳をボランティアでやってるのだが、参考になるだろうかと思って読んでみた。実務的なところで、1秒4文字とか、1行13文字とか、ハコ書きスポッティングなど、先日翻訳をはじめるにあたり教えてもらったことは書いてあった。が、この辛酸なめ子にも通ずるような礼儀正しい皮肉の数々の裏には、字幕翻訳者の尋常じゃないハードワークがあるようで、現にこの著者は今年1月に56歳で亡くなっているではないか! 岩波の方に著者の生活の実録が書かれているが、夜中まで働いて朝まで酒をくらって正午に起きる、というパンク生活が続けばやはり体にもガタがくるのであろう。RIP…。
    締め切りと1秒4文字の悪夢に追われる生活なんてごめんであるが、字幕翻訳自体はやってみると楽しい。英語は情報量の多い言語だと思うが、それをいかにまとめるかは、この著者の言うように英語の能力より日本語のセンスの問題だろう。ただ「日本語の字幕は世界一」みたいな話は眉唾ものなのでおいといて(確かにヨーロッパなどからの輸入DVDなどの英語字幕は、ぜったいに不可能な分量の英語字幕を追っているだけで映画が終わっていて、シーンなどこれっぽっちも覚えていないことはよくあるが)、それでもこの業界も効率化で大変みたいだし、それで字幕のクオリティが落ちるのもイヤな話である。そんなボヤキが中心の本。

    この映画の字幕もこの方だったのね…。何度見ても泣けます。

  • 由熙 /李良枝(講談社)
  • 留学先でイヤなことがあるとその国が嫌いになり、そのよりどころを求めるように自国を余計に愛するようになり、ナショナリスト化する人を何人か見てきた。海外留学経験があるから視野が広い、と思ったら大間違いの典型である。実態は逆を行っているのだ。
    しかしキョポには、帰る場所がない。韓国へ行けばハンチョッパリとバカにされたりいじめられたりし、日本に戻れば迫害を受ける。ただ在日であることを隠しておけば、生まれ育った日本の方が生活しやすい。しかしじゃあいったい私は誰なんだ、という問いが生まれる。その問いこそが、この由熙のつらさそのものである。
    昔キョポの子とデートしていたときに、彼女は以上のようなことを飄々と語っていたが、他人事ながら強い子だなあと思ったものだ。果たして私はその境遇に耐えられるのだろうか。ただ自分のルーツの言語であるハングルを学んでこなかったことは悔いていて、その後勉強して身につけたようで、やはりそこにも、「私は誰だ?」というアイデンティティの問題があったのだろうね。
    「青色の風」は、殊能センセーの「こどもの王様」を思い出す、団地の子供もの。

  • 紋切型社会 -言葉で固まる現代を解きほぐす /武田砂鉄 (朝日出版社)
  • 買う時期を逸すると、だんだんとその本への興味を失ってきて、他にほしい本もあるし、まあいつか古本で読めばいいかと思ってしまう程度の興味の本というのがあるが、これもついに買うことなく、予約していた図書館から忘れたころに連絡が来てようやく読んだ。
    「口から出る八割が皮肉、残り二割が諦め」という筆者の、基本的にまわりくどいがなんとも的確な皮肉が満載の(この場合たぶんこれが褒め言葉なんだと思うが)一冊。こういうのはちゃんと買って手元においておいて、ことあるごとに読み返してクスクスと笑いながら読まないといけない。笑ってる場合じゃないんだろうが。
    本書にも出てくるが、ある問題があったが、なんとか言い逃れをしてその場しのぎ、マスコミもなぜかそれをまったく追求しないまま、知らないうちに過去の出来事になっていることが最近多々ある。パンツを盗んだ大臣はまだその職に就いているし、「TPP反対」とはまるで反対の結果になってるのに、そんなこと知らん顔の自民党、という転倒が起こっていて、それを批判するメディアもほとんどない。ネトウヨ団体と交流があっても問題なし。イラク戦争は間違いだった、なんてのはこの国じゃもう話にものぼらない。こうなったらもう何でもありだ。ヒロシマは可能な限り政治利用するが、ナンキンはうそでたらめで認めません。パンツとナンキン。どうもつながっている。
    こういった我々の生きる身勝手な世の中に、この筆者のように何か気怠そうで嫌々ながらもチクチクと釘をさしていくこういったことばというのは、今となっては非常に大切にしないといけないような気がする。そんなのを大切にしている社会なんて、ろくなもんじゃないんだけど。というわけで、ちゃんと買って再読しようと思います(お金のあるときに)。

  • 水滴 /目取真俊 (文芸春秋)
  • この前沖縄から帰ってきてすぐだったか、この作家が辺野古の反対行動で逮捕されたというニュースを見て、密度の濃い旅行後のあの特有の、現地に引きずられるような感覚もまだ残っていたからなのかもしれないが、いやはや目取真俊はその体をもって今も戦っている稀有な作家だとちょっと感動した。ただ不勉強な私はそれでようやく氏の小説を読む気になって、図書館で借りてきたのだった。
    沖縄戦を題にとった「水滴」と「風音」の2作もさることながら、「オキナワン・ブックレビュー」のハチャメチャさが読んでて楽しい。楽しいというと何か不謹慎な気もするが、クスクスと笑えるのだ。「沖縄にとって天王星とは何か」なんて、もうテンノウは宇宙規模で考えてみないと理解できないような、ナンセンスなものだ、真剣に=滑稽に、「皇太子沖縄婿」くらいやらないと、それは正当化できないんじゃないか、ということをひたすら「不謹慎」な悪ノリでやってしまうのは、今も体を張って戦う作家の姿勢の源流で、口だけじゃないことがここからもわかる。
    「風音」は2003年に東陽一監督により映画化されているみたい。「水滴」は荒井晴彦が映画化したら面白そう。去年の『この国の空』みたいに、何年かおきにでもいいので戦争映画を撮ったらいいんじゃないか。特に沖縄戦を記憶しておくのにはこれ以上ないストーリーだ。

  • 原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史/有馬哲夫 (新潮新書)
  • ひとつ思ったことがある。今もCIAは日本政府に干渉を続けているとして(陰謀論には与したくないが)、別に正力をほめるわけじゃないが、こちとらタダでは使わせんぞと正力もCIAを私的に利用しようとしたように、アメリカの言いなりにはなるまい、と政治をしている政治家は今いるのだろうか。とここまで書いて、アンゲロプロスのこの言葉を思い出した。一人の政治家の渡世のために、原発が導入されてはたまったものじゃない。
    「政治も政治家ももはや信じるに値しません。心ある人間なら、政治を行うなど今日では不可能です」

  • 聖別された肉体 オカルト人種論とナチズム /横山茂雄 (書肆風の薔薇)
  • こういう本を読むと何と感想を書いていいのか困るが、最近読んだ本の中でもずばぬけておもしろかった。おもしろいことを文章化するのは大変な作業だ。さすがと言うべきなのか、横山先生の言うことを聞いてれば、面白い読書・映画体験ができるのはもはや疑いがない。『映画の生体解剖』も1度は読み終えたが、あれはそもそも通読するようなものでもなくて、手術台、放電、水、裂け目など、キーワードをなんとなく頭に入れておいて、今後見る映画の中でそれらに出会ったときに改めて読み返すような、百科事典の類の本だろう。
    さて、この本はナチス前史=19世紀末からの西欧でのオカルティズム流行からちゃんと説明がしてあって、ナチスの指導者の一部がフェルキッシュでオカルティックな思想にとりつかれていた、という背景が膨大な資料を基にていねいに書いてあるのでわかりやすい。まあ別にわかりやすさなんてどうでもいいんだけど、この前史の枝葉がおもしろくて、「血と土の結合」を目指した後のナチス農業大臣ヴァルター・ダレェや、SS長官ヒムラーがかかわったという「右翼的農本主義的青年運動団体」アルタマネンなどは、当時の日本の権藤成卿や橘孝三郎なんかはその存在を知っていたのだろうかとか、スイスのアスコナという村にあった「モンテ・ヴェリタ」というコロニーは、バクーニン、クロポトキンやレーニンなんかも訪れたという記述なんかに妙に興奮する。
    アメリカではベジタリアンに対して「お前はナチか」みたいなジョークが飛ぶ(おそらくヨーロッパでは無理なんだろう)くらいに、ナチスと菜食主義は深い関係があるが、最近もううんざりするくらい大流行りの、オカルトとか神秘主義っぽい意匠をはらんだドゥームメタルやパンクバンドなんかは、実はアナーコじゃなくてこっち経由でベジだったりしたら面白いな。
    しかしそのフェルキッシュ・オカルティストたちが純粋北方人種をアトランティスに求めたのと同じように、わがニッポンにも皇国思想をムー大陸にまで拡張した藤沢親雄という国家主義者までいたとか。いやはや、こういう「偽史」に魅せられて自らに都合のよい解釈を加えていくのは、今猛威をふるう歴史修正主義にもぴったり符号する。保守系論客による「日本人はスゴい」なんていう類の本は、実は全部オカルトなんじゃないかと。

06. May 2016 by sats
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