【書評】MDC: Memoir from a Damaged Civilization /Dave Dictor | 焔と煙霧

【書評】MDC: Memoir from a Damaged Civilization /Dave Dictor

EL ZINE vol.28 (2017年12月発売)に掲載してもらった、再来日間近、MDCのボーカル、デイヴ・ディクター氏の自伝本、”MDC: Memoir from a Damaged Civilization: Stories of Punk, Fear, and Redemption (Manic D Press)”の書評をここにも載せておきます。

今週木曜から始まる2回目の日本ツアーは、約10日間をかけて、西は広島まで色々な場所を回るみたいなので、より多くの人が、あの素晴らしいライブを見たらいいんではないかと思います。「年をとってもハードコア・パンクでいること」に対して答えを提示している、1つの素晴らしい現在進行形のバンドです!

ツアー日程等は下記フライヤーと、こちらのfacebookページに載っています。
MDC 2018 tour


・MDC: Memoir from a Damaged Civilization: Stories of Punk, Fear, and Redemption
/Dave Dictor (Manic D Press)

パンク友人たちや家族への愛と、実のともなった平等主義
「人と人との間に大きな差はないんだ」と叫び続けて38年。MDCがまたやってくる!

MDC Dave Dictor

MDC。Millions of Dead Cops。死んだポリ公がウン百万人。今更だが、何とパンクの宿命を背負ったバンド名なんだろう。Slayerと並んで、「アメリカで最も邪悪なバンド」と呼ばれたのもダテじゃない。

MDCの前身バンドにあたるThe Stains(最初期はReejexというバンド名)の結成が1979年なので、今年で結成38年。今年2月には初来日を果たし、年齢なんてまったく関係なし、誰がどう見ても現役バンドの熱量を持ってライブをやっていると感じさせる、とんでもないライブを見たのは記憶に新しいどころか、あんなに衝撃を受け感動したライブは、ここ数年でもMDCだけだ。
そのライブの物販で、本書、MDCの首謀者でありボーカルのデイヴ・ディクターの自伝が(氏のサイン入りで)売っていた。このハードコア・パンクのオリジネーターは、一体どんな人生を送った上で、齢60を越えてもあんな説得力のあるステージングができるんだろうか。

恐らく80年代当時から、MDCのレコードや“P.E.A.C.E.”コンピを手に取ったり、映像を見たりしてきた人なら知っていて当たり前の話なのかもしれないが、MDC=デイヴ・ディクターと言えば、DEAD KENNEDYSのジェロ・ビアフラ、MINOR THREATのイアン・マッケイと並んで、アメリカン・ハードコアにおける「政治的なバンド」の代表格。かろうじてデッケネやMINOR THREATは聞いていた10代の自分に、ダビングのダビングのタビング程度には映像が劣化した“Target Video”のビデオテープが回ってきて、CRUCIFIXの後に登場する、このちょっとぽっちゃりしたボーカルを擁するMDCは、速くて何かインパクトがあるバンドだなあ、なんて思ったりしたものだ。

本書はデイヴ・ディクターが自ら執筆した自伝だ。それは即ちアメリカのハードコア・パンクの胎動から現在にいたる道程を、デイヴの視点で追体験する旅となる。誰かの自伝や伝記を読むことは、『トータル・リコール』体験みたいなもんだ。

 パンクに出会う前の10代半ば、なぜ人間は肉を食べるのだろう、という疑問を持ったデイヴは、それをカトリックの母親・エヴェリンに話した。すると母はエピフォン製のギターを持ってきて、「そういう世の中への疑問を歌にしてみなさい」とデイヴを後押しする。他にも母に関するエピソードは多く、デイヴのパンクの基礎となったものは母の影響が大きいようだ。また、デイヴは自身をバイセクシャルと自認していると書いているが(それぞれの時代に付き合っていたパートナーの話もよく登場する)、そもそもデイヴ6歳の頃、カトリックスクールの先生(尼さん)に「男の子と女の子の差って何?」と聞いたら、その先生は「女の子はオチンチンが外に出てないだけで、あとは男女の差は特にないのよ」、と答えたという。その答えがしっくりきて、「性差」を特別に意識することがなくなったということだ。この経験が以降のデイヴの「平等主義」に影響していることは間違いない。

さて、79年のテキサス・オースティンでのバンド結成~サンフランシスコへ移住してからの、アメリカン・ハードコア黎明期におけるMDCの熱心な活動ぶりは改めて言及するまでもないが、デイヴが自身の記憶を振り返りながら書く細かいエピソード群は、まるで彼自身が撮影したドキュメンタリ映像を見ているようだ。もちろんあの有名なBAD BRAINSとのエピソードも語られる。1982年4月1日、大好きなBAD BRAINSがサンフランシスコにやってきて対バンし、そのまま彼らのツアーに加わることになりテキサスへ。ヒューストンでのライブの後、MDCの地元オースティンでのライブのリハで、地元のDICKSのGary FloydとBIG BOYSのRandy Biscuit(2人とも80年代のパンクシーンでは珍しいオープンリー・ゲイのパンクス)を見たBAD BRAINSのHRが、「こんなクソホモバンドとやりたくない」と言い出し、他にも「女性はツアーなんかに来ずに、家にいるべき」など、彼の宗教観から来るミソジニーを臆面もなく語りだす始末で、そのライブの翌日についに決裂。それ以来MDCはBAD BRAINSとライブをやることもなく、デイヴはHRと言葉を交わしたこともないらしい。この出来事がMDCの“Pay to Come Along”という曲に結実しているのはご存知の通り。たとえ好きだったバンドだったとしても、それが「身内」であろうとも、その考え方が自分のものとは相容れないならば、その間違った部分を批判するのが彼のハードコア・パンクなのだ。デイヴに「なれあい」は通じない。

その後1982年、DEAD KENNEDYSに頼んで連れてってもらった初のヨーロッパツアーでは、ヘッドライナーのデッケネの40%しか音量を出してもらえないことに、「パンクは(音量も)平等であるべき」と文句を言い、イギリスのレスターでのライブでは右翼スキンヘッズにボコボコにされて入院(リアル版『グリーンルーム』だ)、まだ東ドイツの中にあったベルリンでもライブをやり、翌1983年は青年国際党のイッピーたちと一緒に、全米で反レーガン政権のデモやライブが渾然一体となって行われた“Rock Against Reagan”ツアーに始終した一年で、同党のマリファナ推進ポリシーで、何千人と集まる会場ではジョイントがふるまわれ、ニューヨークではトラックの荷台で移動ライブ、ワシントンDCではリンカーン記念堂の前に1万人が集まるなど、「時代」を感じるエピソードがこれでもかと語られる。ちなみに10月23日のサンフランシスコ、この年最後のRARのライブでの司会者が、当時まだブレイクする前のウーピー・ゴールドバーグとボブキャット・ゴールドスウェイト(!)という超楽しそうなライブに、1万人集まった(ラインナップはデッケネ、MDC、Contractions)というのも忘れがたい小話で、一体どんな雰囲気だったんだろうと妄想は膨らむ。
RAR flyer1
オランダの企画者による83年末から84年2月にかけての2回目のヨーロッパツアーでは、オランダの前にイギリスでCRASSに企画してもらっていたら、入管でついにそのバンド名が仇となり入国拒否。これについてはANTISECTのメンバーもあるインタビューで、「CRUCIFIX、DIRTとツアーしてたときに、MDCと対バンする予定だったんだけど、彼らは入国できなかった」と言っていたのを思い出す。この時MDCはイギリスには行けなかったのだが、この時代のヨーロッパは、イタリアから広まりだしたスクワット文化が花開いた時期で、MDCの政治的スタンスもそれと合致したおかげで、ライブは各地好評だったらしい。

とまあこういったMDCの活動の歴史が当時の状況と合わせて語られるわけだが、Maximum Rocknrollの創始者ティム・ヨハナンが、MRRのラジオで彼らのレコードをかけたことが全米に広まるきっかけとなったバンドは、そのMRR的な左翼スタンスに合致するバンドとして認知され、逆に白人至上主義と結びついたスキンズからは目の敵にされ、地元だけでなくツアー中にも、そういったスキンズとケンカになったり襲撃された話も絶えず登場する。そこでもデイヴは、時には格闘して負傷し、また別の時にはそういったスキンズを諭しながら、自らのスタンスを変えることはもちろんない。特に彼のセクシズム、ホモフォビアへの攻撃に対抗する姿勢は一貫しており、「人間に大きな差はない。だからそういったヘイトをなくしたい」ということを本書の中でも繰り返し書いている。
たとえば初期のアメリカン・ハードコアのシーンは、先述のHRの発言にあるように、「女性をライブに連れてくるべきではない」という意見が大多数のマッチョな雰囲気を抱えており、その中でデイヴはあえて女性の友人にツアーに同行してもらったらしい。こういった男性主義のシーンに風穴を開けたい、という彼の思いや行動は、先述の「男と女に違いはない」、という彼の平等主義を物語る一つのエピソードだろう。

80年代後半に当時の彼女と別れ、息子ともはなればなれになってしまった心の隙間を埋めるために、90年代初頭にはメス(メタンフェタミン)中毒になってしまったデイヴ(「政治的バンドがドラッグ中毒」というイメージについても、自身の中で葛藤のようなものがあったとも書いている)。生活再建のために息子のいるポートランドへ引越し、しばらくはドラッグから離れた生活を送ったものの、あるきっかけでまたドラッグ漬けの生活に逆戻り。決して「いい話」ではないのだろうが、POISON IDEAのPig Championとメス三昧で、一緒にSUBMISSIVESを結成し、音源をNOFXのFat Mikeに売りつけて、そのレコードの売り上げでさらにドラッグ漬けになり、しまいには売人にまでなって……という彼の人生の明暗が、赤裸々に語られているのも本書の読みどころだ(KKKの女性や共和党青年部の女性と、彼女らの素性を知らずに寝てしまった、なんてこともさらりと語りながら…)。

 そのPig Championもそうだが、パンクシーンに長く身を置いて過去を語るとき、やはり既に亡くなっている人も多い。そういった亡き友人たちや家族(特に養父と母)との思い出も織り交ぜながら、デイヴが見せる友人や他者に対するまなざしは、いつも優しくあたたかい。MDCのメンバーも入れ替わりが激しいが、それぞれのメンバーについてページを割き、面白おかしく書いているのも、彼のやさしさの表れだろう。それゆえにみなデイヴについていき、ひいてはバンドが長続きするというわけだ(特にオリジナルメンバーで現在も一緒に活動している二人、ドラムのAl SchultzとギターのRon Posnerについては、色々あったけど大好きだよ、というデイヴの思いがよく伝わってくる)。

その後、90年代末から息子と一緒にニューヨークの両親のところに住みながら、特別支援教育の修士号を取って特別支援学級の現場で働き、MDCを再結成、ツアーやアルバム“Magnus Dominus Corpus”のリリースを経て再びポートランドへ戻り、両親も亡くなり、デイヴもブドウ球菌感染という病に苦しみながら、何とか病気を克服し、今も世界中をツアーしている。そしてそんなMDCは2018年、再び日本にやってくるのだ。
MDCの代表曲の1つでもある、“No war, No KKK, No fascist USA”のコーラスが印象的な“Born to Die”は、1980年にオースティンでKKKがデモ行進をしたときに、300人のパンクスと少しの過激派たちがKKKのデモ隊に投石し、行進を止めることができたという、「ストリート」での出来事から作られた曲だ。今はそれを“No Trump, No KKK, No fascist USA”と変えて歌っているのは、去年のライブで見た通り。このエピソードと同じような状況が、37年経った今、世界中で起きているのもこれまた事実。これはやっぱりMDCを見に行って大合唱するしかない!

書評のはずなのに、ほぼエピソードの紹介で終わってしまってすみません。但し書ききれなかったエピソードは他にも数知れず。今度のツアーでもまた売っているかもしれないので、ぜひ買って読んだらいいと思う。デイヴの英語は簡潔に書かれていてとても読みやすいし、偉そうに持論を述べることもない。デイヴが書くのは、あくまで長年のパンク生活で彼自身が何を体験し、どう思ったか、ということだけだ。
再び彼のステージングが見られることを楽しみにしながら、最後に本書のエピローグを抄訳して終わる。

「私にとってパンクとは、現状への服従に抗う苦悩と同じことだ。ヒッピー世界の理想が堕落し、その理想とは真逆になるのをじかに見てきた。結局彼らは音楽の商業主義化と商品化を受け入れ、ロックンロールをひとつの単なる機械にしてしまい、ミュージシャンをその歯車と化してしまったんだ。その事実が私にとっては、商業主義文化から自由になるための刺激となり、自分自身を100%パンクに没頭させることになったんだ。」(P.187-188)

22. January 2018 by sats
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