ベツレヘム、パレスチナ

せっかくイスラエルにやってきたので、パレスチナにも行ってみることにした。とは言ってもそんなに時間があるわけでもなく、とりあえず分離壁だけこの目で見ておこうと思いエルサレムから一番近いベツレヘムに行くことにした。
分離壁というのは、このブログを見て頂いている方ならご存知の方も多いと思うが、イスラエルがパレスチナのヨルダン川西岸地区とイスラエル国境の間に建てた「壁」であり、イスラエル側は「テロを防ぐ」など自衛の目的で建てたと言う代物である。パレスチナ人はこの壁のせいで土地を奪われイスラエルの監視下に置かれると共に、外との行き来が自由にできないことから、文字通り差別的な壁=アパルトヘイト・ウォールと呼ばれることもある。
詳しくはこのあたりでも参照を。

イエス・キリスト生誕の地と言われるベツレヘムまでは、エルサレム旧市街のダマスカス門前にあるアラブ・バスターミナルからバスで30分ほど。ロンドンで購入したGLOBETROTTERという「地球の歩き方」みたいな旅行ガイドブックにも載っていたし、泊まったホステルにも「近所の観光地」という感じで紹介されていた。もちろん日本のマスコミが唱える「イスラエル=パレスチナ=自爆テロ=怖い=テロはいけない」のような、現状を理解するつもりも毛頭ないどうしようもない短絡はここにはあるはずもない。

行きはバスが直接ベツレヘム市内まで入った。バスを降りた瞬間からパレスチナ人タクシー運ちゃんの客引きが始まる。エルサレムよりも雑然としていて道路も舗装がきちんとはされておらずゴタゴタしている印象がしたが、タクシー運ちゃんたちによってそんなパレスチナの感慨はさっさと消される。
「生誕教会まで20シェケル(約400円)でどうだ? 歩ける距離じゃないぞ」
「ジェリコにも連れてってやるぞ」
「ヘブロンまで行く気はないか?」
「バンクシー知ってるか? バンクシーの有名なグラフィティ巡りはどうだ?」
などなど、5,6人の運転手が寄ってきて執拗に声をかけてくる。最初はすべて断っていたが、着いたばかりで土地勘もないし中心部まで乗せてもらうかと思い交渉した。最初に20シェケルで声をかけてきた運転手が「彼は俺の客だ」と言って、他の運転手と交渉して決まった15シェケルで乗せてくれた。私と同じ年くらいの男である。彼に決まったので他の運転手も諦めて次の客へターゲットを変えた。運転手同士の自治があるのか、皆グルなのか。半信半疑でタクシーに乗った。
途中そのタクシーが地元の警察に止められた。どうやらボッタクリをしていないかのチェックだったらしい。切符は切られてはいなかった。
パレスチナでの生活はどうか聞いてみたところ、「いいところだぜ。」と返事をしたが、会話は切り替えられそこからはまた勧誘である。
「ジェリコ行ったことないんだろ? ○○シェケルで連れてってやるよ。」
どうやら中心部まで大回りをしたみたいで、距離を稼いで私の気を変えようとしていた。

生誕教会前の広場

市内に着いてその生誕教会を何となく見ようと思ったら、入り口の前にいたガイドらしきおじさんに、「日本人、韓国人、中国人観光客は絶対にガイドを頼もうとしない。異国に来てにおいを嗅いで帰っていくだけだ。」と言われ、それは言語の問題と異文化を理解するつもりがあまりないからじゃないかな、と適当に答える。確かにほとんどの極東の観光客は一眼レフで片っ端から写真を撮っているだけなのかもしれない。そういう人はどこでも見かけた。
腹が減ったのでファラフェルを食べようと歩いていたらピンク色のシャツを着た20代らしき青年にまた話しかけられる。
「ジェリコまで行かないか?すごくいいところだぜ。○○シェケルでいいよ。金がない?いくら持ってるんだ?クレジットカードでもいいよ。(続く)」
彼はこちらが断ってもかなり粘ってきた。終いには
「俺たちの生活知ってるだろ? 今日なんて6時からこうやって働いてるのにまだ1人もお客取ってないんだぜ。どうしろって言うんだよ。頼むよ。」
とかなり情に訴えてきたので、何とも言えない申し訳ない気持ちになり、「I’m sorry, I’m sorry…」と言いながらその場を去った。一体彼に対して何ができるというのか。

うまくて安い(物価がイスラエルの半額以下)ファラフェルを食べて、インフォメーションセンターの物凄く丁寧な対応をする女性に帰りの道順を確認して市内を歩いた。マーケットは非常に賑わっていた、ここがパレスチナだと忘れるくらい。パレスチナにもこういう生活はあるわけだ、もちろんここに至る道は簡単なものでもなく、常にイスラエルに監視され制限された上での生活というわけだろうが。そういえばベルトが壊れかけていたので、露店のベルト屋でベルトを買った、「安いけどイタリア製だぜ!」の声と共に。

帰りは分離壁まで30分ほど歩いた。すれ違う中学生くらいの男の子たちは皆「ハロー!」と陽気に挨拶をしてくる。通りで出会った少年は拙い英語で名前を聞いてくる。異国からの旅行者に興味津々である。
やがて分離壁が見えてくる。昔写真や映像で何度か見たが、この巨大なコンクリートの塊でパレスチナ人の生活が分断されていることを思い出す。映画監督・園子温の最新作は福島原発から20kmの警戒区域で分断された家族の物語だとどこかで見たが、パレスチナにももっと前から分断された家族はいた。比べるものでもないのかもしれないが、原因はこちらの方が遥かに残酷である。



壁沿いに歩いていくと、バンクシーショップというのが目に入った。バンクシーはパレスチナではおそらく一番の「有名人」だろう。タクシーの運ちゃんたちは、60歳過ぎのおいちゃんでもバンクシーの名を知っていて、それを生活の糧にしている。たとえバンクシーという名前が発音できなくて「バンシー」や「バクシー」になっても、旅行者にバンクシーの有名なグラフィティ巡りを持ちかけて連れ出す。バンクシーが雇用を生んでいるわけだ。そんなバンクシーショップは印刷のクオリティーが低いポストカード(値段もちょっと高め)やバンクシーの映画『Exit Through the Giftshop』のコピーDVD-Rを約1400円で売ったりとかなり怪しいお店だったが、これもバンクシーによる雇用の創造というやつであろう。
そんなバンクシーショップを通った先に、イスラエルへの入り口である通称「チェックポイント」がある。何重にもなった物々しい門のようなところを進み、X線のセキュリティチェックを受ける。私の前にパレスチナ人と思しき家族がいたが、彼ら彼女らはパスポートチェックはもちろん口頭での質問、指紋認証などをイスラエルの係官によってされていた。その家族の3歳くらいの女の子は係官の女性に愛くるしく手を振った。女性も笑顔で手を振り返した。これが彼ら双方の日常であろう。

たかだかパレスチナのしかも西岸地区の一都市に数時間滞在しただけで、パレスチナはどうだった、などと言えるはずもない。イスラエルとエジプトに封鎖された地域であるガザなどは、対イスラエル強硬派と穏健派が内戦を繰り広げたり、つい最近でもイスラエルからの空爆で死者が出たりと、まったく違った事情があるだろう。他の都市では今もイスラエル側の入植が進められているとも聞く。また、先項のアダムから聞いた話だが、ユダヤ人はイスラエルという国家がそこにあるべくして現在存在していると思っている人が多い。2000年も虐げられ離散していたユダヤ人にこそ、住む土地が与えられるべきだ、というシオニズムの考えである。パレスチナという国家がイスラエルと対等に交渉を行えない現状もある(日本や韓国、アメリカなどはパレスチナを国家として認めていない)。

無力な旅行者がブログに書けることなどこの程度だ。糞の役にも立たぬ。ただ、日々死んでいく記憶の底にパレスチナをしまうのはもうやめなければならない、パレスチナだけではないが。

28. October 2012 by sats
Categories: israel, palestine, war | Tags: , , , , , , | Leave a comment

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