160911

先日のVocoの博多、広島2デイズに合わせて、VocoとLastsentenceのSplit 7インチを出したレーベルのペジャが来日して、しばらく一緒に遊んでいた。彼とは今年の1月にサンフランシスコに行ったときに、あるライブで偶然会って、そのあと連絡を取っていて、Splitを出した2バンドのこういうライブがあるけど来る?って何気なく聞いたら、本当に来た。ボスニア出身の彼は、他にも日本のバンドもいくつか出していたり、私が2012年にマケドニアやセルビアで会った友人たちとも知り合いで、相変わらずこのシーンはみんな知ってていいなあと嬉しくなる。

現在のボスニア・ヘルツェゴビナを構成する構成体のひとつ、セルビア人系のスルプスカ共和国の首都で、ボスニア第2の都市、バニャ・ルゥカ(って書いただけでもうわかりにくいのがこの辺の歴史か)で13歳のころからパンクだったペジャは、パンクというだけでメタルヘッズやフーリガン、警察にいつも狙われてボコボコにされそうになったり、その襲撃から逃れるために、アメリカが埋め込んだ地雷畑の上をそれと知らずに走り回ったり(最近も、ポケモンGOをボスニアでやるときは地雷に気をつけよう、ってニュースがあった)、服や食べ物もない戦時下を過ごしたり、あとは何だっけな、毎度のことながら、いろいろ聞きすぎて圧倒されてしまう。そんな過去を生きてきた彼からすれば、戦争でメチャクチャになってしまった祖国を逃れて彼が今住んでいるアメリカや日本のパンクが、時として「恵まれすぎ」ていて、「リアルさ」に欠けて見えるのは仕方がないことなのかもしれない。東京はなんでこんなに店ばかりなんだとか、ビルとビルが近すぎて恐ろしいとか、こんな広告だらけじゃまるで『ゼイリブ』じゃないかとか、もうそんなことにいちいち驚く感覚もマヒしてしまった恥ずかしい現代人の私は、改めてああそうだったなと思う。こうやって外の目を通して改めて見ないと、もうわからないことだらけなのかもしれない。

今回彼としゃべった人やバンドは、大体「アメリカにライブしに来てよ。企画するよ」と誘われたはずだ。ただその質問のたびに苦笑いされた彼は、なんでこんなに日本のバンドは海外に出たがらないのか、とよく聞いてきた。みんな生活が大変なんだよ、と言うと、「でもみんないいギター持っていい服着てるじゃないか」と言い返すので、私は返答に困る。パンクとは旅行することだ、という考えは私もずいぶん正しいと思うし、そうやってきたつもりだ。でもそればかりは人それぞれなんだよ、ペジャ。確かに今アメリカにライブしに行ったら本当におもしろいだろうと思う。オークランドなんかは1000人単位のパンクスが集まってくるとかなんとか。入国が厳しくても、何とかなるようでもある。でもみんながみんな行ける状態にあるわけでもない。だからこそ、行ける人は行ったらいいんだと思う。せっかくこんなに豊かなワールドワイドな関係があるのに、利用しない手はない。仕事はツアーに行く都度辞める、って昔は結構よくあったと思うが、まあ今のご時世、ってやつか。それを言い訳にしちゃいかんだろうけど。

ペジャがリリースしてるベイエリアのポストパンクバンド。正直こういう最近のバンドはどれも没個性で私はほとんど興味がないのだけれど、彼いわく、80年代のユーゴスラビアにはたくさんこういうのがいたから元々好きだそうで。10代の初めに姉に聞かされた最初のパンク音源がポストパンクだったとか言ってたな。バンド名は覚えてない。郷愁ってやつなのか。ちなみに80年代のユーゴのなら、私はこのマケドニアのバンドが好きだ。その名も「ビザンティン帝国の没落」:

13. September 2016 by sats
Categories: memo, music, people | Tags: , , | Leave a comment